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吉田修一の作家生活20週年記念作品!「国宝」
この作品は吉田修一さんの作家生活20周年を記念して、刊行された作品です。
私は吉田修一さんの作品を単行本として発売されたものはすべて読んでいます。
芥川賞を受賞した「パークライフ」を読んだときからはまってしまい、新刊が出ればとにかく購入して、読みます。
「悪人」「横道世之介」「怒り」など、映画化もされ話題作も多い吉田修一さん。
その作品たちを超えていく力がこの「国宝」にはありました。
「悪人」では、人は置かれた状況などでどうなってしまうかわからない怖さを描き、「横道世之介」では人と人の関係が暖かいものであることを描き、「怒り」では感情というものにまっすぐ向き合っていました。
そこで吉田修一さんが描いてきたものが「国宝」に活かされている。
そう感じるほど、吉田修一さんのエネルギーがこもった作品です。
「悪人」「横道世之介」「怒り」を読んだことがあり、それらの作品が好きな人には是非読んで頂きたい作品です!
あらすじ
簡単にあらすじを。主人公の立花喜久雄は長崎の極道の息子。
ヤクザの跡取り息子です。
喜久雄が14歳のときに組長である父が殺され、組が傾いていきます。
そこで以前に一度喜久雄が踊っていたところを見ていた、大阪を拠点とする歌舞伎女形名門である花井半次郎のもとに預けられます。
そこで喜久雄は役者を志す。
花井半次郎の息子である俊介と切磋琢磨しながら。
二人は芸にすべてをかけていきます。
すべてを投げ出していきます。
芸を極めたい、その先の景色が見たい。
そのためだけに、二人は周囲を巻き込んでいきます。
極道、歌舞伎と一般的には馴染みがないが…
第一章がまずヤクザの新年会で幕を開け、その宴の最中、喜久雄の父は殺されます。
そして続くは歌舞伎の世界。
正直、自分には馴染みのない世界でした。
さらに、この小説、文体がかなり変わっているんです。
地の文が「~でございます。」「~なものでした。」など語り口調で書かれており、一体これは誰の語りなんだ?と読み始めた当初から疑問が浮かびます。
ちょっと最初のハードルが高い。
もし吉田修一さんが書いた作品と知っていなかったら、読み始めて、すぐにやめていたかもしれません。
でも第二章で一人父の仇を打とうとする喜久雄の人生に魅せられているうちに、文体も自分の知らない世界でも気にならなくなります。
構成や展開が巧みなせいか、章が進むうちにぐいぐい引き込まれ、下巻になるころにはページを捲る手が止まらない。
読了時には、「歌舞伎、見に行きたい!!」となるほど、この世界に引き込まれてしまいました。
喜久雄と俊介、本気でぶつかり、自分の本気を預けられる関係
喜久雄と俊介は常にライバル関係にあり、この二人がこの物語の軸をなしています。
喜久雄が評価されているとき、俊介は評価されておらず、喜久雄が落ち目になると俊介が持て囃される。
同じ師に学び、花井半次郎に鍛えられ、しかし二人に開花する才能は違う。
この二人が織り成す舞台こそ、私がこの小説を大好きになってしまったところです。
役者駆け出しの地方巡業の際、二人で組んだ舞台をたまたま見ていた劇評家が大絶賛し、一気にスターになる二人。
そこから二人の人生は大きく動き出し、最終的には二人が次の歌舞伎界の演目を決め、流れを作るまでになる。
いがみ合うわけではない。憎みあうわけでもない。
ただライバルとしてお互いを認め、尊重し合う。
物語の半ば、二人がサシ飲みをする場面があります。
そのときお互いの関係が微妙で、話すこともなく、気まずい空気のまま終わります。
でも時が経ち、二人が大成したあと、二人は飲みながら楽しそうに「次はあれがやりたい」とか言い合う。
この二人の関係は、物語のなかで紆余曲折していきますが、二人のすべてが愛おしくなるほど純粋であると自分は感じました。
こんな関係に憧れます。
自分が本気でやっていることに、本気で応えてくれる人がいる。
自分が本気を出したいときに頼れる人がいる。
なんて尊いんだろうと読みながら感じていました。
語り口調の文体の巧みさ、そこに描かれる人情
少し触れましたが、語り口調のような地の文が、読了したのち、少し冷静に物語を振り返ったとき、「上手い!」と感じました。
この、少し変わった文体のおかげで、普通の文章だったら、「ちょっとくさいなあ」と思ってしまう部分も、あっさり受け入れてしまいます。
この小説、かなり人情を描いています。
特に喜久雄や俊介を支える人々が熱い。
家族はもちろんのこと、喜久雄の昔からの友人や、歌舞伎界の大物から、歌舞伎を催す会社の人たちまで。
もう人情の世界です。
優しさとか厳しさとか、それだけでは語れない、人情というものがたくさんこの小説には出てきます。
普段だったら、このやり取りちょっとチープじゃないかなと思うような部分も、抵抗なく自分の中に落ちていき、そして心を揺さぶります。
映画などの映像で見た話を誰かに言葉で伝えようとすると、ちょっと出来すぎていて話しながら恥ずかしくなることってないですか?
あれって映像で見せられているから、難なく自分のなかに落ちていくけど、言葉で伝えようとすると結構微妙になっちゃうことがあると思うんですよね。
そういうものをこの語り口調を使うことで上手く出していると自分は感じました。
そしてこの語り口調の正体は、黒子なのではないかと私は思っています。
立花喜久雄の人生を黒子のように陰で見ている黒子のような存在が、この物語を読者に、必死に伝えている。
熱を帯びながら。
読了後、余韻を味わっているときに、ふとそう思いました。
最高の舞台に立つ、ラスト
この小説のラストは、本当に素晴らしいです。
作者の吉田修一さんがインタビューで「喜久雄にはラスト、最高の舞台に立ってもらいたかった」と語っています。
それが頷ける、鳥肌が立つような、そしてラストまで辿り着いた読者なら、はっきりとイメージができるようなシーンで幕が閉じます。
ぜひ、このカタルシスを読んで味わってもらい。
この小説は喜久雄が14歳のときに始まり、ラストでは彼の年齢は60を越えています。
この小説は常に喜久雄の人生に寄り添っていました。
少しずつ彼と共に歳を取ります。
だから20代の喜久雄も、30代の喜久雄も知っている。
40代、50代の喜久雄だって知っている。
そうやって共に歩んできたからこそ、喜久雄が見せてくれる光景、喜久雄と一緒に見ることができた光景がある。
作者が見せたかったのはここなんだ。作者が描きたかったのは、ここなんだ。そう感じる、心に残るラストです。
これは長編小説の良さを活かし切った素晴らしい作品です。
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