太宰治の代表作である『斜陽』。
戦後の没落貴族として生きる一家それぞれの華麗なるほろびを描いた物語だ。
あらすじ・内容紹介
戦後のある没落貴族の一家。
語り手である「かず子」、「母」、弟の「直治」、それぞれの生き様を描いた太宰治の代表作。
貴族の家柄に生まれながら、父を失い戦争を終えて生まれ変わってゆく世の中に放り出されてしまったような人たち。
時代の流れの中でやがて滅びていく「没落貴族」として、彼女たちはどのように生き、どのように滅びていくのか。それぞれの選んだ道に心が震える。
かつて栄えたものが時代の流れについていけず衰える、という意味で使われだしたのは、この太宰治の小説がきっかけ
斜陽の感想(ネタバレあり)
母の選択
最後の貴婦人
息子である直治から「最後の貴婦人」と称されるほどの生粋の貴族。
ただお上品というだけではない、身体を流れる血そのものから清らかでなければ貴婦人とは呼べない。
かず子も直治もその観点から言えば「半貴族」という感じだろうか。
存在そのものが貴婦人なのだから、骨つき肉を手掴みで食べようが庭でおしっこをしようが、かえって無邪気な子供のような純真さが勝ってしまう。
高貴な家に生まれ大切に育てられた人間は、世間知らずなようでいていざという時にもどしっと構えていられるものなのだろうか。
自分の中に揺るぎない核があって、何が起きても飄々としていられるような。
なんでもない事だったのね。燃やすための薪だもの
ある日、ボヤを起こしてしまい動揺するかず子にかけた言葉、それから、
札つきなら、かえって安全でいいじゃないの。首に鈴をさげている小猫みたいで可愛らしいくらい。札のついていない不良が、こわいんです
札つきの不良を可愛らしいと言ってのける豪胆さにも感じられる。
とはいえ、夫を亡くして貴婦人のまま生きていくのに肉体が耐えられなかった。
結核を病み貴婦人のまま旅立ってしまう。
その姿は「ピエタのマリヤのよう」だった。
彼女は時代の流れに逆らうことなく、身を任せて飄々と滅びていった。
そこには達観というものがあったのかもしれない。
彼女は貴婦人であったけど妻でもあったのだ。
そして同時に母親だった。
夫のいる世界と子供たちのいる世界、彼女の精神はふたつの世界に跨っていたのだと思う。
だから、世を儚むことなく旅立つことができるし、もし病気にならなくても流れに身を任せて生きていくことができたのではないかと思う。
かず子の選択
更級日記の少女
『源氏物語』の紫式部に憧れる少女、『更級日記』の作者である菅原孝標女に例えられたかず子。
夢見る少女だったかず子も今では29歳の出戻り娘。
生まれ育った家から母とふたり山荘に移り、自分がこの清らかな母を守っていかなければいけないと躍起になる。
ところが、この頑張りが空回りというか、所詮世間知らずのお嬢様の考えることはやっぱりどこか地に足がついていないようだ。
母譲りの芯の強さで懸命に生きていこうとする姿はとても健気で、責任感の強さに押しつぶされてしまうんじゃないかとハラハラしてしまう。
私が死んでしまったら、お母さまも生きては、いらっしゃらないだろうし、また亡くなったお父上のお名前をけがしてしまう事にもなる。いまはもう、宮様も華族もあったものではないけれども、しかし、どうせほろびるものなら、思い切って華麗にほろびたい。火事を出してそのお詫びに死ぬなんて、そんなみじめな死に方では、死んでも死に切れまい。とにかく、もっと、しっかりしなければならぬ
戦闘、開始
母の死後、庇護する対象を失ってしまったかず子は自分自信の内側に革命を求める。
戦闘、開始、と立ち上がるかず子はもう「更級日記の少女」ではない。
焼けた大地に力強く自分の足で立つスカーレット・オハラだ。
かず子にとっての革命は子供を産むことだった。
相手は直治の小説の師匠、上原。
たった一度のキスで、当時既婚だったかず子の心を奪ってしまった上原の子供が欲しいという心理は恋とは違うのかもしれない。
ただ、生きていくために身の内に核が欲しかったのだと思う。
それはきっと、夫やお金では得られない確実な核なのかもしれない。
私は、勝ったと思っています。
マリヤがたとい天の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます
たとえ父のいない子を育てることになっても、私は生きていく力を得たのだという決意に満ちている。
かず子は時代の流れを乗り越えていく。
力強くほろびて心身ともに新しく生まれ変わるという生き方を選んだのだ。
直治の選択
麻薬中毒の不良少年
直治のような歳の若い男性は、この時代たいへん苦労しただろう。
貴族とは名ばかり、一般人と同じ生活をし、戦争にも駆り出される。
それでいて家柄はついて回る。
直治が麻薬中毒になったり、小説家の真似事をしてみるのも、自分自身の身の置き場に困惑していたからなのかもしれない。
そんな時は、人間わかりやすく「札つき」になろうとするものなのだろうか。
直治の選択…それは、自死だった。
姉のかず子に宛てた遺書は、いつもの悪ぶった直治ではなく幼い弟の素直な気持ちが綴られていて、とても切なくなる。
僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そうして、それが、所謂民衆の友になり得る唯一の道だと思ったのです
直治は直治なりにもがき苦しんでいたのだと初めてわかる手紙に、胸が苦しくなった。
直治は時代の流れに溺れてしまったのだ。
泳ぐ力がなかったのではない。
ふと立ち止まり、流れに逆らって引き返してしまったのだ。
姉さん
僕は、貴族です
まとめ
環境の変化に順応するのは、男性よりも女性の方が得意だと聞く。
『斜陽』も女性の強さが目立つ作品だった。
私はかず子を『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのようだと思ったのだけど、スカーレットも家族を養っていくために戦火の中、自分の足で立ち上がっていく強い女性。
自分以外を守るために強くなれるのは女性の本能なのかもしれない。
それが、結果的に自分自身を生かすことになるのだ。
直治はまだ幼く真面目すぎたのだと思う。
生まれもったものと世間との乖離は今の世の中でもよくあることだけども、世間が許す許さないじゃなくてただ自分自身が許せなかったのかもしれない。
ある意味、私は直治がいちばん鮮やかに滅んでいったと思う。
いいか悪いかは別として。
没落してだんだんと血が薄まるように滅びるのではなく、貴族のまま華麗に。
この小説は他にもいくつかキーワードがある。
読めば読むほど新しい発見があって面白い。
そのキーワードは私の感想には載せていないので、ぜひ読んでみて欲しい。
この本の主題歌:Michael Bublé/Ave Maria
『Ave Maria』Michael Bublé
作品の中に出てくるキーワードから連想。
オペラ歌手の歌う『Ave Maria』ではなく、男声バージョンで。
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