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『神様のカルテ』夏川草介【彼は、誰よりも患者のことを思う医師】

この本に出会ったのは今からもう9年前になります。

当時の私はまだ小学生、曾祖父の死をその2年前に経験していたものの、人の死はもちろんこれからどう生きていくかなんて考えたこともありませんでした(小学生で考えていると若干不安ではありますが)。

ですが。

この本をきっかけに私の人生は変わります。

大げさだって思いますか?

本当なんです。

だって私はこの本のおかげで将来の夢を見つけたのだから。

だって私はこの本のおかげで生き方の指針を見つけたのだから。

あらすじ

主人公は栗原一止(くりはらいちと)。

長野県松本市の基幹病院・本庄病院で働いている5年目の青年内科医です。

本庄病院は「24時間365日対応」をモットーに掲げる病院です。

ですが、慢性的な医師不足にベッド不足、おまけに一止は救急外来の当直に行けば患者が多いという「引きの栗原」という異名の持ち主。

従って一止は常に働き過ぎ、外来に入院患者に、エトセトラ。

しかし自宅である「御嶽荘」に帰れば妻の栗原榛名(くりはらはるな)、通称ハルさんが待っていて、隣人であり友人の学士殿と男爵と晩酌もしたりします。

これはそんな彼とそれを取り巻く人々のごく普通の日常のお話。

注意
以下ネタバレ注意です

神様のカルテの感想(ネタバレ)

リアルすぎる現場

この作品の舞台は地方の基幹病院です。

そして、この医療はあくまで「理想」で、この物語はフィクションです。

でもですね、一止たちが置かれている状況はとてもとてもリアルなんです。

昨今叫ばれている医師不足、高齢化、延命治療の是非、エトセトラ。

綺麗事ではない「命の問題」がここにはあります、もちろん医師にしか分からない裏話も。

例えば当直。一止は内科の医師ですがそんなことを言っていられるのは日中の外来の時くらいでしょう。

救急外来の当直で外科、例えば骨折の患者が来ても診なければなりません。

ちなみにこういう時「内科医」の名札をさげていると、気づいた患者は不安になる。だから夜は、日中とは違う名札を渡される。

「救急医」である。実に便利な名だ。

…怖すぎる。

でもこれが現実です。当直が終わっても日常業務があるので朝になったら帰れるというものでもありません。

働き方改革はどこへやら、という勤務環境です。

患者側にしかなれない私たちには分からない、綺麗事ではない医療現場の問題がすごくリアルに書かれている。

他の医療小説とは違う点だと思います。

もう1つ、他の医療小説と違う点があります。

それは「助かる患者さんがいない」ことです。

よくあるように神の手を持つ医者はいないし奇跡的な回復もありません。

それもまたリアルな現場の姿です。

生きるとは何か?

私は医師が一番人の死に近い職業だと思っています。

自宅で看取りをする機会が減っている今、人が死ぬ瞬間を見ているのは彼らだけ、と言う場合も少なくないかもしれません。

例えば膵臓癌の田川さんが亡くなったシーン。

微笑んだ老人の顔は、“晴れ晴れ”という形容詞が似合うほど、明るく穏やかなものだった。

そこには医者も医療も、最先端の薬の効果もことごとくあざ笑うかのような、堂々たる“命の形”だけがあった。

(中略)

私は改めて実感する。

悲しむのは苦手だ、と。

医師は自分の限界を知っています。出来ることも出来ないこともある、その中で全力を尽くす。

受け持ちの患者さんは1人ではありません。だから目の前の患者さんが亡くなっても悲しんではいられない。

ですが家族は、何を思うでしょう?

「何で助けてくれなかったんだ」「出来ることはやってくれ」そう言うのかもしれません。

それが正しいあり方の時代もありました。

しかし、と一止は言います。

「それは本当に正しいのか?」と。

稚拙な医療レベルの時代であれば、それで良かった。

だが今は違う。

死にゆく人に、可能な医療行為全て行う、ということが何を意味するのか、人はもう少し真剣に考えねばならぬ。「全てやってくれ」と泣きながら叫ぶことが美徳だなどという考えは、いい加減捨てねばならぬ。

人間が死の間際に出来ることってすごく限られているはずです。

でも私たちはお医者さんなら治してくれると、何の根拠もないのに(あるかもしれないけど)期待してしまいます。

そして私たちは簡単にこう叫んでしまいます。

「出来ることは全てやってくれ」と、まるでそれが正しいあり方であるかのように。

今の医療レベルなら「心臓が動いている」時間を延ばすことは出来ます。

ですがたくさんの管や機械に囲まれた状況で、会話も出来ない、そんな状況を「生きている」と言っていいのか?

遺された家族がそう叫ぶのはエゴです。

この世に助かる命があるように、助からない命もある。誰が全力を尽くしたって、助からない人だっている。

正しいことは分かりません。正しいことなんてないのかもしれません。

どう生きるかが話されるのに、どう亡くなるかは話されない社会です。

でもこれから高齢化が進めば助からない命はきっと増えるでしょう。

私たちはどう生きるかと同じくらいどう亡くなるかを考えなければならないと思います。

悩み、立ち止まり、それでも進む

彼の住む御嶽荘は不思議な場所です。

住人の人数もはっきりしないし、古い旅館を改装した建物は入るのをためらいたくなる雰囲気、私ならあまり近づきたくないです、正直。

ですが一止は御嶽荘を、そこに住む人々をこう表現します。

まるで世の中に適合しきれなくなった人々が、さまよい歩いた先に見つけた駆け込み寺のような様相が確かにある。(中略)生きにくい世の中に自分の居場所を見つけるために何度でも旅立つ人々だ。

誰もが悩み、立ち止まっています。

例えば学士殿。

彼は大学受験に失敗し、それを母親に言えず、そのまま母が亡くなってしまったことを悔やんでいました。

自殺未遂もしました。

嘘をついていたことを一止に謝ります。でも「だから何だ」と一止は言います。

「笑う者あらば笑うがいい。貴君は常に前進してきたのだ。我々がその証人だ。」

立ち止まってなどいない、学士殿は大学に行かずとも思考し、知識を得ていた、あなたは前を向いていた。

彼は御嶽荘を去ることになります。

でもそれは少し休んでいた場所からもう一度この生きにくい世の中で生きようとするための旅立ちなのだと思います。

必ず、また会える。そう信じて彼らは学士殿を送り出すのです。

自分が挫折と捉えていたことが「挫折ではない」と言われるだけで学士殿は救われたと思います。

彼らの姿を見るとなんだか明日も頑張れる気がしてきます。

まとめ

これをただの医療小説だと思ったら大間違いです。

電車の中や周りに人がいる場所で読むことはおすすめしません。

きっとその優しさに泣いてしまうだろうから。

いつか、あなたが少しだけ現実から離れたいと思ったら。

御嶽荘のような場所で休みたいと思ったら。

この本を開いてみてください。

読み終わったら、きっと、また頑張ろう、って思えます。

生きにくい世の中だし、いつか私たちは死ぬわけだけど、

でもそれまでに、一止のような医師に会えたら。

私はそれだけで、ああ生きてた甲斐があったな、って思えます。

主題歌:神様のカルテ/辻井伸行

映画の主題歌です。手抜きはしてません。

本当にこの曲がぴったりなんです。

他の曲も考えましたが、やっぱりこれ以上はないです。

ピアノに乗せて登場人物を思い出せば、簡単に涙がこぼれてしまうような、そんな儚さを感じます。

ぜひ聞きながら読んで欲しいと思います。

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