あらすじ
物語は年上の主婦にアニメのコスプレをさせられてセックスしている高校一年生、斉藤を軸として進む。
いじめられっ子同士で結ばれ、平穏に暮らしたいのに姑から子どもを迫られる女性、ぼけた祖母と二人で貧しい団地に住んでいる高校生、助産院を営みながら、女手一つで息子を育てる母親など登場人物はそれぞれの問題を抱えている。
生きることの痛みと喜びを鮮やかに写し取った窪美澄の処女作である。
収録作「ミクマリ」第8回R-18文学賞を受賞、第24回山本周五郎賞受賞作。
ふがいない僕は空を見たの感想(ネタバレ)
味方でいたい
「ごめんね」って言いながら、あんずは金をくれた。おれはその小さく折りたたまれた一万円札の意味がよくわかんなかった
第1章「ミクマリ」の主人公は高校生一年生の斉藤。
無理やり連れて行かれたコミケであんずにナンパされて生まれて初めてセックスをした。
同じ年くらいだと思っていたあんずは12歳も年上で既婚者。
彼女は小太りで可愛いわけでもない。
あんずは斉藤に台本と衣装を渡し、斉藤はその通りにセックスした。
そんな日々が続いていたなか、斉藤は想いを寄せていた人、松永に告白される。
不器用な斉藤は「その人とのことをちゃんとしてから松永とつきあいたいから」と保留にするが…。
斉藤の持つ少年ならではのあどけなさ、弱さ、青臭さが魅力的で親しみを覚えた。
大きくも見せないし、小さくもない高校一年生という等身大な斉藤が翻弄されている姿が正直、すこしだけ愛おしくなる。
まだ高校生ありながら、主婦のあんずとは体の関係性を持ってしまった。
セックスした後に渡される何グラムもない一万円札が重たく感じる。
ありがとうや、ごめんねを言われると、ときどき、心が破れるように悲しくなる。
そんなことを思い出した。
自分でしたことなのに、自分の手には追えない。
失恋したときに、辛ければ辛いほど、その人のことが好きだったんだと気がつく。
その事実がよけいに辛くなる。
居ないことが今まで居たことを教えてくれるからだ。
なにかを失うことは、空の青よりも綺麗だから、人は時々バカなことをしてしまうんだろう。
敵はだれだ
私のおりものには、慶一郎さんの精子を異物と判断してしまう抗体があるということでした。
「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」の主人公、里美は妊娠しにくい体質だった。
子供が嫌いなわけじゃないし、旦那である慶一郎さんのことも嫌いなわけじゃない。
でも里美の体は慶一郎さんの精子を拒絶している。
それでも平和に暮らしていた。
慶一郎の母、マチコの存在を除けば。
費用はすべて持つから人工授精にチャレンジしなさいよー」と満面の笑みで言ったマチコさんは怖かったです。
マチコは自分に孫が欲しいばっかりに、あの手この手を尽くして里美を妊娠させようとする。
里美目線だと全くもって嫌な姑だ。
お腹を痛めるのは姑じゃない。
家族になったとはいえ、妊娠、出産を強制される筋合いはどこにもないよなと、読みながらマチコに対して恐怖と怒りを感じた。
後半になって、ようやくマチコが”悪者ではない”と気がついた。
私はただ孫が欲しいだけなのよ。
この一文が妙に心に響いた。
僕には子どもが居ないから本当のところは分からないけれど、愛情をかけて育てた息子とそっくりな顔をしている孫、なんて可愛いに決まってる。
親や姑からのプレッシャーを、結婚をした人は経験してきたんじゃないだろうか。
子どもを産むか産まないかなんて自由なはずなのに、誰が正しいのかも存在しないから、問題はさらに難しくなっていく。
ただ孫が欲しいだけで嫁のことを考えない姑、ウブな高校生と不倫をしてしまう嫁、本当に考えを改めるべきなのは、一体どちらなのだろう。
差別される
でかい病院の息子で、自分で言うのもなんだけど頭も顔もそれなりによくて、教師としても有能な男が子どもの裸の写真見て興奮してるなんて、狭苦しい街で退屈しまくってる人たちにとっては、こんなおもしろい話はないよな
おれは、本当はとんでもないやつだから、それ以外のところでは、とんでもなくいいやつにならないとだめなんだ
セイタカアワダチソウに登場する田岡のセリフはどれも耳が痛くなった。
人は集団になればなるほど異物を見つけてはそれを共有したがる。
村田沙耶香の『コンビニ人間』にもあったセリフを思い出す。
誰にも迷惑をかけていないのに、ただ、少数派というだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する
いまのテレビのニュースは過剰だと思う。
少しでも墨を零してしまったなら、他の色がどれだけ綺麗でも、ワイドショーではその墨しか取り上げない。
視聴者とは、全く違う次元で起きている出来事を”新商品!”のポップつきで1番目立つところに陳列する。
流行りに乗らないと、人生が退屈だから、蔑まれているから、一体感があるから。
人が人を叩く理由は無数にあるだろうけど、叩かれる側の人生はどうなるんだろう?
この小説には、間違いを犯して叩かれる人、その孤独、その先の人生が描かれている。
間違いを間違いだと指摘するのは簡単だけど、間違えを許容するのは難しい。
笑って許せる人間になりたいのに、年を重ねるにつれて許せないことばかりが増えていく。
そんな虚しさをすらも許せなくなって何かを傷つけて承認を得よう<とする弱い自分に嫌気がさす。
正しさよりも、優しさを自分の判断基準にできる強さが欲しい。
まとめ
男も女も、やっかいなものを体に抱えて、死ぬまで生きなくちゃいけないと思うと、なんか頭がしびれるようにだるくなった
あとがきも触れていた この一文が真意だなと何度も頷いた。
居酒屋で「女は面倒くさい生き物」なんて言う言葉を何度か耳にしたことがある。
確かにそう感じるときもある。
しかしながら男だって十二分に面倒くさい。
欲望に翻弄される姿はまるで子どもだ。
体のつくりが少し違うだけでこんなにも大きなズレが生まれてしまう。
赤ちゃんのときはオモチャみたいだったアレも大人になったら子孫繁栄のキーアイテムになるのは不思議だ。
幼い頃に入った銭湯で見知らぬ大人たちのアレの大きさにゾッとしたことを思い出した。
あのときゾッとしたのは、未来の”やっかいさ”を本能的に想像してしまったからなのかもしれない。
昔も今もお産が命がけであることは変わらないのだ。
最終章の花粉、受粉で書かれていた一文が印象に残っている。
少なくなったとはいえ、新年号を目前とする今でもなお出産で亡くなる命がある。
彼女たちは自分の命を失う覚悟をしてまで子どもを産むのだから、女性には敵うわけがない。
月に一度、肉体から血が流れることも、自分の体から乳がでることも、僕には想像もつかない。
出産は、その想像を超えたさらに先にあって、今立っているところからは別次元の話のような気がした。
いつかが父になる日が来るなら、僕の代わりに命をかけてくれていた彼女のことを、ちゃんと思いやれる人間でいたい。
犬や猫、昆虫たちがする交尾と人間がする行為の違いはどこにあるんだろう。
本能として見て見ぬ振りができない”行い”がどういう意味を持つのか、私にはまだ分からない。
保健体育の授業では習わなかったけど、大人になれば自然と分かるものだと思っていた。
大人になった今でも、なったからこそ、分からなくなった。
揚げ足を取られるような、誰かに不幸をもたらすような不純な快楽。
すべて報われたような、誰かに幸福をもたらすような、純白の新しい命。
その過程はどちらも全く一緒だ。
もし神さまが本当にいるなら、どういう意味合いを込めてセックスを生み出したのか聞いてみたい。
「ふがいない僕は空を見た」のなかで描かれているセックスにどこか青春性を感じた。
演技(ここでは台本に制限されたコスプレでの行為のこと)ではない本当の素顔にときめくことだったり、大好きな人がフリーセックスをしている果てしない哀しみだったり、その人とできる羨ましさに苛立ったり、自分の手に負えないほどの大きな力が主人公たちを動かしている。
みんな馬鹿だな言いたい気持ちもあるけれど、まっすぐで、熱量があって、羨ましい。
ふがいない僕にはまだセックスの意味するものが分からない。
けれど、煮詰まって見上げた空は青かった。
若さも、痛みも、青で表現される。
青はいつだって綺麗だ。
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