騙されるな!辻村深月にご用心
『かがみの孤城』(ポプラ社)で本屋大賞を受賞してからさらに世間に知れ渡った辻村深月さん。
『かがみの孤城』を読んだのを機にほかにも読んでみようと思った方は多いのではないでしょうか。
次になにを読むかということで、この間の『青空と逃げる』(中央公論社)の記事を読んでくださった方もいるかもしれません。
『かがみの孤城』の後に出版されたこともあって紹介しましたが、理由はそれだけではありません。
そう、白辻村だったから。
優しく、心温まり、救われる物語を書く白辻村。
人間の本性を暴き出しバットエンドもいとわない黒辻村。
同じ小説家から生み出されたとは思えないほどの差です。
本当に辻村深月さんは幅広い作品を書いていると思わされます。
なので『かがみの孤城』の感覚で手に取るとちょっと危険な作家でもあります。
そんな危険な作家の今回紹介する本は、本屋大賞受賞後第一作の『噛みあわない会話と、ある過去について』(講談社)です。
周りに辻村深月さんが好きな友人がいたら、この作品はおすすめかどうか聞いてみてください。
もしおすすめと言われたら、あなたはとっても素敵な友人をお持ちです。
この作品は黒辻村です。
どういう作品かといいますと題名の通りです。
会話が噛み合わず、その会話はとある過去について話されている、というものです。
4つの独立した中短編からなっています。
この作品では自分が思っていたことが相手にとっては違った、ということがポイントになってきます。
自分では相手のためを思って言ってきたことが、実はその人にとっては嫌で嫌で仕方がなかった。
そんな事実を突然伝えられる恐ろしさがあります。
小学校、中学校、高校と過ごしてきた中で、振り返ってみると悪いことをしたなと思うことは、今だと気が付くかもしれません。
気づけたのならまだいいものの気が付けなかったら。
自分が思っている以上に相手にとっては重大な出来事になっているということはあるかもしれません。
長い時間の流れによって都合よく解釈してしまっていたり、思い出フィルターがかかっていたりすることは誰しもあると思います。
それらのことを親と子、先生と生徒、友人同士などの立場から見事に描ききった作品になっています。
なのでいまこそ紹介したい一冊です。
成人式が控えている今、特におすすめしたいのは新成人の方々。
今度の成人式で久しぶりに会う友人、先生がいるかと思います。
「あの時、実は……」と数年越しに明かされる事実もあるかもしれません。
この本を読んだからと言ってなにか防げるわけでも、対策をできるわけでもありませんが、読んでよかったと思うはずです。
少なくとも自分が思っていることが相手にとってもそうであるとは限らないと実感できると思います。
各作品について
この作品は書いた通り4つの中短編からなっています。
それぞれ……
- ナベちゃんの嫁
- パッとしない子
- ママ・はは
- 早穂とゆかり
となっています。この題名からは不穏な感じが漂ってはきませんが、このシンプルな題名は読み返すと最小限の言葉でそれぞれの物語の中心をとらえていることに気が付くと思います。
「ナベちゃんの嫁」
大学時代のコーラス部。
男を感じさせない男友達のナベちゃん。
卒業から何年かたったとき、ナベちゃんの嫁がやばいらしい、という噂が立つ。
女子が多い環境だったせいか、華奢で男らしくなくイジられキャラだったナベちゃん。
愛されていたナベちゃん。
噂の原因はメールだった。
最初は結婚を報告するというめでたい連絡だったが、2通目はそうではなかった。
婚約者が気にするから僕とは直接連絡せずコーラス部だった男子メンバーを通して欲しい。と謝る文面がひとつも見当たらない連絡だった。
それだけならまだしも、「披露宴で歌って欲しい。それも替え歌で」という注文。
かと思ったら「やっぱりなし。披露宴の正体もなかったことにして欲しい」という連絡。
婚約者の言動も相まって彼らに対する批判は高まる中、「私」は自分たちのナベちゃんに対する大学時代の扱いがいけなかったのだと、今彼は幸せで、私たちの態度は無責任で都合がいいという。
人は相手にまで理想像を押し付けるという醜さが暴かれています。
ナベちゃんはこう思っていたのに、と相手からしてみれば勝手に理想像を抱かれてそうでなかったからと幻滅されてはたまったもんじゃありません。
そのことは当たり前のようにわかるはずなのに、人は気がつかないうちにそんなことするわけないと思ってもしてしまっています。
さらに怖いのが「私」が最初にそのことを気がついた時の場面です。
ここではもうメンバーはナベちゃんが残念になった、変わってしまったと、自分たちの非に気付かずにいます。
あんなに優しかったナベちゃんがああいう人になってしまうなんて、あんな人を婚約者に選ぶなんてと好き勝手に、無責任に言いだします。
そんな時、突然、同じように言っていた仲間の一人が私たちがおかしかったと言われたら。
ちょっとした裏切りのように感じます。
ずるいとも思うでしょう。
事実、作中でも自分だけずるいと陰でこっそり言われてしまったことが判明します。
ただこの場合どうすればいいのでしょうか。
気がついてもこのまま周りに合わせて悪口を言っていくのが正しいのか。
きっと誰かが言うのかもしれません。
それは本人かもしれませんし、違う友人かもしれません。
いずれにせよ、指摘された時に攻撃せずにいられるのかということです。
正しくあろうとしても上手くいかない現実が残酷なまでに、大きなことではなく何気ない日常の出来事を通じて書かれています。
周りに1人はこのような、ナベちゃんのような人物がいるのではないかと思います。
それは草食系男子だったり、女子力が高かったりする人かもしれません。
いずれにせよどういう人かというと、周りから好かれていても、人気があっても決して「男」として一番になることのできない、友だちで終わってしまう男子、です。
男女に関わらずそんなナベちゃんのような人に都合のいい扱いをしていないか考えてみてください。
「パッとしない子」
美術教師の美穂の教え子に国民的人気グループのメンバーになった教え子がいる。
有名になってから思い返してみると彼は「パッとしない」地味な子だった。
ただ図工の時間に教えていた彼が体育祭の入場門を黒く塗りたいというのをほかの先生が反対しているところをかばったという出来事を覚えていた。
ある日、テレビ番組の取材で彼が母校を訪れてきた。
周りが有名人の訪問で沸き立つ中、彼は美穂と話がしたいという。
昔の生徒、教え子が有名になった芸能人。
記憶があいまいになり、補正のかかった記憶で話してしまっていることに気が付かずに話してしまう。
それを張本人に否定された時の恥ずかしさ、血の気が引くような感覚。
自分が言われることがないのにも関わらず、小説の話とわかりきっているのにまるで自分が言われているような感覚に陥ってしまいます。
ラストは穴があったら入りたい、過去に戻れるなら戻りたいと思ってしまいます。
ただそれは先生側の人間、つまりは教え子が受けたような仕打ちを経験したことがないから。
中には教え子側の人もいるかと思います。
その方にとっては爽快なすっきりとする話になるのではないかと思います。
「母・ママ」
友だちの「住吉亜美」の引っ越しの手伝いをしていたところ「私」はアルバムを見つける。
亜美に確認を取り見てみると成人式の写真だった。
藤色の綺麗な着物だった。
話は教師である私の話になった。
なあなあな発想がなく自分に厳しく子どもを思うあまりに学校のことにいろいろと口出しをしてくる親がいた。
ただそれは悪意があってのことではなく相手のことを思ってのことだが、子どもを厳しくしつけられないほかの保護者にまで意見をいってしまう。
いわゆるモンスターペアレンツだった。
亜美の母親の似たようだったという。
抑圧がすごい親だったと。
そして、着物にまつわる話を亜美はする。
自分で着物を選べなかったこと、そして実はその着物の色は藤色ではなかったことを。
最初で最後の成人式。着物はやっぱり自分が気に入ったものが一番です。
中にはもう前撮りを済ませた方もいるかもしれません。
ほとんどの方がレンタルで先に借りられてしまっている場合は気に入っていたものが着られないかもしれません。
すでに成人式を済ませている方は経験があるかもしれません。
残念ですが、結果的に自分が着たものが一番、そうなった方も多いのではないでしょうか。
先にレンタルされていた。これはまだいいかもしれません。
というのは人間関係に亀裂が入らないから。
最初で最期の、人生一度きりの成人式、本人はもちろん楽しみかもしれませんが、それ以上に思い入れのある人がいます。
そう、親です。
純粋に楽しみにしてくれているのならまだいいですが、あれもこれも親に決められて結局自分の着たいものを着れなかったとなれば、結果的に自分が着たものが一番とはならないでしょう。
この作品もそんな出来事を書いたものになっています。
最近は「毒親」についてニュースで報道されたりエッセイが出版されたりすることが増えてきたように思います。
『過保護のカホコ』もそんな「毒親」のドラマでした。
「親が重い」「いつまでたっても子ども扱い」「子どもを所有物だと思っている」
そんな言葉を見たり聞いたりしたことがあると思います。
印象的なのは亜美のセリフ。
「成長した子どもが、大人になってから親の子育てを肯定できるかどうか」
親にとっては怖いことかもしれません。
やはり親と子、対等な関係は難しいです。
知らないうちに抑圧していたとしたら。子どもも大人になり対等になった瞬間。
その関係が一瞬にして崩れます。
いままで抵抗できず、抑圧されっぱなしだった子どもが反旗を翻す瞬間。
子どものためにやってきたことが、本人にとって意図しない受け取り方をしているかもしれないと思わずにはいられません。
エッセイや毒親にならないためにという本がありますが、やはりフィクションの力はすごいと思わずにはいられません。
辻村深月さんらしく着物の色が変わるという「ちょっと不思議」な要素が入りつつも現実以上に生々しく突きつけるこの作品は親への理解を示し、子どもの視点を示しつけるこの作品は親という立場からはもちろん、子どもという立場からも読む価値のある作品となっています。
「早穂とゆかり」
自称霊感少女の同級生は塾の経営で有名人になっていた。
出版社に勤める私は今度取材することになっていた。
コメンテーターとしてテレビで活躍し、教育界のカリスマになっていた同級生だったが私は強い違和感を覚えていた。
いじめられていたわけではないが、自称霊感少女は明らかにクラスで浮いていて、彼女がインタビューで答える小学生時代は嘘としか思えなかった。
取材当日、私は彼女に会い驚愕の事実を知ることになる。
人は置かれていた状況で、演じていることがあります。
一般的にキャラといわれるもの。
自分が好きでそのキャラを演じているのか、周りの状況でそのようなキャラを演じなくてはいけなくなってしまったのか。
変というだけで馬鹿にしてしまうのは少々危険な感じがします。
この物語でも「私」は馬鹿にしていたわけではありません。
まったくそんなつもりはなかった。
でもつもりがなかっただけ。
自分が言った、「え、これが?」という言葉が大きな影響をもたらしている復讐劇仕立ての作品になっています。
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