あなたには、命を賭けても守りたい人はいるだろうか?
その人のためなら罪を犯すことはできるだろうか?
犯人が守りたかったものに、あなたはきっと涙する……。
こんな人におすすめ!
- 切ないミステリーが読みたい人
- 複雑な人間関係のミステリーが好きな人
- ガリレオシリーズ最大の秘密が知りたい人
あらすじ・内容紹介
南房総の沖で男性の遺体が見つかった。
かなり腐乱の進んだ状態だったが、身元は足立区で行方不明者届の出ている上辻亮太(うえつじりょうた)だということが判明した。一見すると、海へ身投げをした自殺のように思われたが、背中に拳銃で撃たれた傷を警察は発見する。
事件性を感じた警視庁の草薙(くさなぎ)と内海(うつみ)は捜査を開始した。
しかし、2人は思わぬ事実にたどり着く。行方不明者届を提出した上辻亮太の同居人・島内園香(しまうちそのか)が行方不明になっているというのだ。
母一人子一人で暮らしてきた園香は1年半前に母親を亡くしており、その後に出会った上辻亮太とは恋人関係だったという。
行方をくらました園香はどうやら1人で逃亡をしているわけではなく、幼いころから親子で懇意にしていた松永奈江(まつながなえ)という女性と一緒にいることが分かった。しかし、上辻亮太の殺害当日の園香のアリバイは成立していることが捜査で判明する。
だとしたら、なぜ園香は逃亡する必要があるのか?一緒に逃亡している女性は何者なのか?
混迷を極める捜査線上に、ついにはあの天才物理学者の名前が浮上する!
大切な人を守るために犯人は罪を犯した……。胸を打つガリレオシリーズの第10弾。
『透明な螺旋』の感想・特徴(ネタバレなし)
もしも、その手を離さなかったら……
この物語はある一組のカップルの出会いから始まる。
戦争が終わり、3年が経ったころに生まれた少女は田舎を嫌った。田舎を脱出した少女は上京をし、路上でひったくりにあった彼女を救ったのが、後の伴侶となる男性だ。
彼女は妊娠を機にその男性と結婚をするのだが、幸せは長く続かなかった。過労死した夫。1人子供を抱えた彼女は我が子を手放す決意をする。
思えば、このことがキッカケで本書の事件は起きてしまうのだ。
彼女は子供の手を離してしまった。その子供がどうなってしまったかは分からないままだ。
親というものはよほどのことがないと子供を憎んだりしない。彼女が子供を手放してしまったのは、子供が憎かったからではなく、やむにやまれぬ事情があったから。
お腹を痛めて産んだ子供のそばに、自分はいることができない。子供が小学校に上がるときも、成人を迎えるときも、孫をもうけたときも、自分がその子供の未来に関わることができない親の悲哀が冒頭に詰まっている。
胸が痛くなる、苦しくなる描写の数々。彼女が吐露する心情は、たとえ自分が子供を産んだことがないとしても身につまされる思いに駆られるはずだ。
指先で頬に触れた。この感触を忘れることは生涯ないだろうと思った。
彼女がまさに子供を手放す瞬間の心中である。このとき子供はバスケットに入り眠っているのだが、その月明りに照らされた子供の顔の書き方がこちらに最上級の切なさを与える。
しかしまだ本書は始まったばかりで、これから起こる悲劇の序章に過ぎない。
どこかへ行きたい、消えてしまいたい
「なんで俺に断りもなく、勝手に他人を部屋に入れてるんだ。おかしいじゃないかっ」
がん、という衝撃を受け、気づくと床に倒れていた。右の頬が熱く強張っているのを感じ、殴られたのだとわかった。痛みは少し遅れてやってきた。
殺害された上辻亮太は、とんでもないDV男だった。女性を力で支配することで安心感を得、なおかつ自分に逆らうと暴力でねじ伏せるタイプだ。その性格がゆえに、仕事も人間関係もうまくいかない。
そんなときに仕事の関係で島内園香と出会い、新たに支配できる人間を獲得してしまった。不幸はまず幸運な顔をして近づいてくるから恐ろしい。唯一の肉親である母を亡くした島内園香は孤独からか幸せを求め過ぎてしまっていたのかもしれない。
人はとても弱い生き物だ。心が疲弊してしまっているとき、小さなやさしさが身に染みることがある。島内園香は差し伸べられたその手にすがりつかざる負えない状況だった。
彼女は父親の顔を知らず、母親の千鶴子と2人で手を取り合って暮らしてきたため、母親が彼女のすべてだった。そのせいか、園香は自分で何かを選択することが苦手だったという。
そんな性格が災いしたのか、DV男である上辻亮太に逆らうという選択肢を取ることができなかった。
上辻亮太はDV男の典型だと思われる。身体的暴力と精神的暴力を繰り返し、島内園香が自分の言う通りに動けば褒めて、やさしく接する。だんだんと感覚が麻痺してくるのだ。
自分が言うことを聞けば、平穏な生活が続く。加えて、島内園香は身よりのない天涯孤独の身だ。上辻亮太に捨てられれば、また1人になってしまうという思いが強く働いたのだろう。読者はきっと「早く逃げればいいのに」や「警察に言えばいいのに」と思うかもしれない。
しかし、想像してみてほしい。たとえ暴力を振るってくる人でも、1人よりマシだと思ってしまう気持ちを。警察に突き出してしまえば、1人きりの家に帰ることになってしまう。
だったら、暴力を振るわれても、自分が言うことを聞けば今の生活が保たれるとしたら……?
島内園香の心情を慮れば、上辻亮太を警察に通報しない理由も想像がつくと思うのだ。
では、だれも島内園香に救いの手を差し伸べのかったのかと言うと、実はそうではない。松永奈江という通称・ナエさんと呼ばれていた、親子ぐるみで仲のよかった女性が助け舟を出してくれる。
そして、我慢が限界を突破した島内園香はつぶやく。
「もしできるなら、どこかへ消えてしまいたい……」
精一杯の助けての声は、周りの人を動かしてしまった。最悪の方向へと。
守りたかったもの、守りきれなかったもの
「本当のものなんか何もない、人間はみんなひとりぼっち───」
本書の肝となる人物、天才物理学者の湯川学(ゆかわまなぶ)。
彼は今まで関わってきた数々の事件のように、犯人の正体を友人の警察官・草薙よりも早く気づき、犯人自身にコンタクトを取る。その理由は、自分の大切な人を守るためだ。
本書の事件は、構造としてはシンプルなものである。殺人事件が起き、最重要人物は行方不明になり、捜査は混迷を極める。
被害者には同情することができないし、行方不明の最重要人物はアリバイが証明されているのになぜか逃亡を続けている。しかし、登場人物たちの行動すべてが、実は大切な人を守るために行っているのだ。
湯川も、松永奈江も、島内園香も、犯人も。全員が全員、自らの大切な人を守りたいという切実な思いから行動を起こす。
その守りたいという思いが、タイトルの「透明な螺旋」へと繋がるのだ。
「透明な螺旋」という言葉は、実は本文には一切登場しない。そもそもこれは比喩表現であり、事件の軸となる「とあるもの」を例えて言っているのだ。
犯人はある意味、この「透明な螺旋」を信じたいがあまりに犯行へと移る。つまり、被害者の上辻亮太は犯人にとって大切な「透明な螺旋」を壊す人物だったのだ。
犯罪を犯してはいけないのは常識的に考えれば分かる。激情に駆られたとしても、人間には理性というものが働く。犯人はそれを超えてでも守りたい人がいたのだ。
常識や理性や道徳などの観念を超えてでも、守りたい大切な人がいる。犯人を動かした「透明な螺旋」に、読者は読後、静かに思いを馳せることになるだろう。
まとめ
「透明な螺旋」の正体に気づいたとき、読者はハッとするにちがいない。それはとても細い鎖のように、登場人物たちを繋げているものだ。
その切れそうな鎖を繋ぎとめるために、犯人は迷いなく事件を起こした。悲しく切なくも、事件のおかげで犯人はその鎖を切られずに済んだのだ。
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