絶海の孤島で繰り広げられる連続殺人事件。
何かを糾弾されたときの人間同士のむき出しのエゴと生々しい言い訳。
緻密な設計でクリスティーが仕掛けたあまりにも衝撃的なトリックと事件の真相を、あなたは見抜けるだろうか。
目次
こんな人におすすめ!
- 大どんでん返しが好きな人
- クローズド・サークルが好きな人
- 名探偵の登場しないミステリーが読みたい人
あらすじ・内容紹介
様々な偽の口実で「兵隊島」に集められた男女。年齢、性別、職業もバラバラな10人は、船で兵隊島へと向かうが、そこは本土とは船以外で連絡の取ることができない絶海の孤島だった。
一向に姿を見せない島の主人・オーエン夫妻を不審に思いながらも、和やかな雰囲気で夕食を終えた招待客たちだったが、突如として不穏な声が楽しげな雰囲気を壊す。鳴り始めたレコードで次々と告発される彼らの罪の数々。それを聴き、ある者は憤慨し、ある者は泣き叫んだ。
すると突然、1人の青年が苦しみだす。酒をあおって倒れた青年は、そのままこと切れてしまった。まるで、招待客たちの部屋の額縁に飾られたわらべ歌の歌詞のように……。
次々と犯人の毒牙にかかっていく招待客たち。はたして誰が生き残り、犯人は何者なのか?
クリスティーの不朽の名作を読み逃すことなかれ!
『そして誰もいなくなった』の感想・特徴(ネタバレなし)
10人の「裁かれない罪」が次々と断罪されていく
この物語のテーマは「法律で裁かれない罪を断罪する」と読み取れる。というのも、招待客たち10人は不気味なレコードで己が犯した「断罪されていない罪」を告発されるからだ。
告発内容に身に覚えがある者から、内容の覚えはあるものの罪の意識は薄い者まで、レコードを聴いた反応は様々だった。しかし、その罪は法律が及ばないために罪に問われることもなければ、裁かれることもない。
1人1人の罪は軽微なものから、法律で裁かれるべきであろう重い罪まである。当人たちにとってそれが「罪」になるのかは、意識の問題だろう。
例えば青年アンソニーが起こした交通事故。2人の子供に被害が及んだが、当の本人は「あれは事故だったんだ」と言い切ってしまう。
また、老女エミリーは「メイドを自殺に追いやった」と告発されるが、その証拠はどこにもないのだ。
兵隊島の主人とされているオーエンは、彼の独自の観点から招待客の罪を決定しているように思える。なぜならエミリーのように完全な証拠がないものもあれば、ヴィラという女性のように指摘された罪について激しい罪悪感にさいなまれている人物もいるからだ。
レコードを聴いたのち、罪悪感に駆られた招待客は口々に己の罪の申し開きをするのだが、そこがまたかなり面白い。ほとんど言い訳なのだ。
例えば退役将軍のマッカーサーは、
「こういうことはほうっておくにかぎるのだ。だがな、一言、言っておきたい──やつめの言ったことは、まったく根も葉もないことだ」
と手が震えるほど興奮してレコードの言葉に言い返している。
逆にヴィラという体育教師は、
「(略)でもわたしのせいではありません。検視審問で、検視官はわたしに責任はないと言ってくれました。シリルのお母さんも──とてもやさしくしてくれたんです。あの子のお母さんが、わたしには責任にはないと思ったのに、なぜ……なぜあんなひどいことを言われなければならないんでしょう。あんまりだわ──あんまりです……」
と泣き出す始末。
告発を聴いた10人の招待客たちは十者十様の反応を見せる。その反応だけでは招待客たちの罪が本当に軽微か重大なものなのかは判断できない。だからこそオーエンはこの面々を集めたのかもしれない。
事件発生後、警察が改めて介入するとロンドン警視庁の副警視総監トマス・レッグ卿はこう言う。
「U・N・オーエンは、法律の及ばない事件を裁いたんだよ」
普通なら見過ごされる罪であったり、蒸し返さなければ露見しなかった罪もあっただろう。しかし、それは決して許されていたわけではなかったということだ。
犯人の独白に注目!「名探偵」が存在しないミステリー
『そして誰もいなくなった』はクリスティー作品の中で「ノンシリーズ」というジャンルに分類される。つまり、かの有名な名探偵ポアロやミス・マープル、トミー&タペンスは一切登場しない。
なおかつ、この物語は「犯人はあなただ!」というような謎解きの場面もなければ、最後の最後まで何が真実かも伏せられたままなのである。
名探偵もなしに事件は解決するのか?それが、してしまうのだ。
最後は犯人の独白形式で事件の経緯や事件を起こした目的が語られるのだが、それまで読者が「法律の及ばない罪を断罪する」というのがテーマだと思っていた部分が180度変えられてしまう。加えてその犯人の正体に仰天するだろう。
動機はなんであれ犯罪は許されないが、犯人は最後の最後まで華麗に犯行を行って物語は幕を閉じる。
ミステリーというものの性質上、探偵や警察がしっかりと介入して事件を解決するという終わり方を望む人が多いかもしれない。そういう人たちにとって、本作はかなりアンフェアなミステリーだと思われる。
しかしながら、この物語はクライムノベルとしても、サスペンスとしても読め、そしてトリックは上質な本格ミステリーである。
何より、名探偵が登場しない代わりに、犯人の独白がすばらしく自分勝手で、犯罪者の鏡のようなのだ。独白は手紙形式なのだが、
他人に認めてほしいと思うのが自然な感情ではないか。
と自らの犯罪を告白した理由を並べ立て、
自分の頭のよさをほかの人にわからせたいという、いかにも人間的な浅はかな願い。
打ち明けて言えば、その願いがこの私にもあったということだ。
と事件を起こした動機がいかにも犯罪者めいている。
はたして、犯人は自らの頭脳が人よりも優れていることをひけらかしたかっただけなのか?ここまで周到に練られた犯罪を犯すだけの壮大な理由があったのか?それはぜひとも、実際に本作を読んで確かめてほしい。
名探偵の影すら登場しないミステリーだが、確かにそこにはクリスティーが書いたことの証明になる「技」が光っている。
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現代テクノロジーに支配されないミステリー
今から80年以上も前、第二次世界大戦が勃発した1939年にイギリスで発表された本作には、戦争の影が色濃く現れ、現代テクノロジーの類いはほとんど登場しない。
移動手段として「車」や「鉄道」など最低限の文明の利器は使われているが、携帯電話もインターネットも存在しない。
舞台となる兵隊島にいたっては手紙を届けることもできないし、本土へ電話をかけることもできない状況に陥るのだ。
クリスティーの孫である、マシュー・プリチャードは『そして誰もいなくなった』の世界を、
テクノロジーに支配されない社会もまた乙なものなのです。
と語っている。
ミステリーはトリックなどの関係から、かなり時代を反映しやすいジャンルである。
一昔前には存在しなかった「携帯電話」という存在がその最たるものだろう。携帯電話自体はアリバイ証明に使われ、位置情報サービスは被害者の殺害現場の特定に使われ、どこでも写真を撮れる機能も何かしらの犯罪に利用されることもある。ゆえに、ミステリーは時代とともに進化を余儀なくされている。
だが、そんなミステリーにおいて、クリスティーの『そして誰もいなくなった』の世界は必要最低限のテクノロジーしか登場しない。招待客は手紙で呼び集められ、鉄道か車で待ち合わせ場所に集合し、船で島へと渡っている。
おそらく現実社会で存在していたであろうテレビや電話もこの物語には登場せず、そのせいか、多少古臭さや時代遅れを感じる表現や描写が登場するかもしれない。
しかしながら、現代の情報社会で生きている私たちにとってほとんど文明の利器が登場しない世界というのはかえって新鮮であり、なおかつ『そして誰もいなくなった』の世界に絶大な効果をもたらしている。
というのも、本書に現代テクノロジーが登場してしまうと、ミステリーとしての趣向が成立せず、かえってシラケてしまう可能性があるのだ。そこでクリスティーは現代テクノロジーの登場を最小限にとどめ、より効果的に舞台を演出し、ミステリーとしての緊張感を高めていると思われる。
計り知れない日本作家へのクリスティーの影響
クリスティーはジョン・ディクスン・カーとともに、ミステリーの黄金時代を築いた偉大な作家である。その総発行部数約20億部。ギネスブックに「史上最高のベストセラー作家」として掲載されている偉大な作家だ。
『そして誰もいなくなった』はシチュエーションもさることながらトリックの特異性が際立つ。トリックの内容を詳しく説明できないのが口惜しいのだが、おそらくクリスティーはこのトリックを使うために孤島という舞台を選び、トリックの大枠としてクローズド・サークルを選択したと思われる。
クリスティーはその前例として「孤島」と「クローズド・サークル」、そしてその2つを十分に生かすことができる特異なトリックを後世に残していった。その貢献度は計り知れず、日本でも『そして誰もいなくなった』に倣った様々なオマージュ作品が生まれることになる。その最たる例が綾辻行人の『十角館の殺人』だろう。
『十角館の殺人』はとある大学のミステリ研7人が、自殺した建築家が建てた奇妙な館のある「孤島」を訪れ、連続殺人に巻き込まれる「クローズド・サークル」である。
2つとも広い枠では同じようなトリックを使っているのだが、綾辻行人の方はよりその特異性が増している。同じ舞台を使いながら、孤島と本土、両方の様子が描かれるのだ。そして何よりも本土には、本土から孤島で起きた建築家の謎の焼死事件を推理する「探偵」が存在している。
それにしても、『そして誰もいなくなった』の見事なプロットといったらどうでしょう!
とクリスティーの孫マシュー・プリチャードが言っているように、クリスティーの見事なプロットに舌鼓を打ってから、オマージュ作品に手を伸ばしてみるのもいいかもしれない。
まとめ
『そして誰もいなくなった』はクリスティー作品のなかでも一、二を争うほど有名な作品であり、何度も映画化やドラマ化もされている。
ポアロやミス・マープルにしか親しんでこなかった人も、これを機会にクリスティーのノンシリーズ作品に触れてみるのもいいかもしれない。
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