『レ・ミゼラブル』は映画でも舞台でも観たことはあるけど、実は私自身、ユゴーと誕生日が同じということもあり、この作品には少なからず縁を感じていた。
完訳版の原作を読んだ今、私が知っていると思っていた『レ・ミゼラブル』は、この物語のほんの一部でしかなかったのだと思い知った。
長い長い物語だけど、もしこの記事を読んで挑戦してみようと思った方は、是非とも簡易版ではなく完訳版で読んでほしい。
あらすじ・内容紹介
幼い家族のためにパンを盗んで投獄されたジャン・バルジャン。
19年後に釈放されたものの行動を制限され、行く先々では冷遇され、食べるものも寝る場所さえもなかった。
唯一温かく迎え入れてくれた司教の善意さえ信じられない彼は、司教が大事にしていた銀の食器を盗んで逃げてしまう。
再び捕らえられた彼に、司教は「それは彼にあげたものだ」とさらに銀の燭台まで与えてくれた。
釈放の条件を破棄し再び逃亡者となるが、やがて新しい土地で市長を務めるまでになり、自分が司教に施された善を市民に与えようと日々行動していた。
だが、囚人だった頃とは別人のような紳士になった彼に、疑いの目を向ける1人の警官がいた。
物語の背景【革命や戦争により貧困に陥ったフランス】
1789年 フランス革命はじまり
1793年 ルイ16世処刑
1815年 ワーテルローでナポレオン敗北
1830年 7月革命
1832年 6月暴動
「レ・ミゼラブル」は、フランス語で「悲惨な人々」「哀れな人々」の意味。
小説に描かれているのは、歴史的記述も含めると1789年から1833年の44年間のフランスだ。
2012年公開の映画でいうと、ジャン・バルジャンがトゥーロンの徒刑場から釈放された1815年から、彼が亡くなる1833年の18年間である。
物語の後半で若者たちが街にバリケードを築く戦いは、1832年6月5・6日の6月暴動のこと。
相次ぐ革命や戦争で国民は貧困に陥り、権力に虐げられていた。
バルジャンがパンを盗んだのも、そんな社会情勢の中、飢えた幼い家族に食べさせるためだったのだ。
生きるために髪を売り、歯を売り、体を売る。そんな時代だった。
バルジャンを助けたディーニュ村の司教は、自分たちは限界まで切り詰めて質素な生活をし、それ以外の全てを民に分け与えるという聖人のような人。
そんな司教でも人間らしい思想はあるし、決して純粋な「善」ではないことが小説には書かれていた。
それでも彼は、バルジャンに温かい食事と清潔なベッドを与え、罪を赦し、大事にしてきた銀の燭台まで差し出した。
これはバルジャンがはじめて受けた「愛」だった。
登場人物
市長マドレーヌと娼婦ファンチーヌ
司教の恩を胸に「正しい人」になろうと誓ったバルジャンは、モントルイユ・シュル・メールという街でマドレーヌと名乗り、地元産業を発展させることに貢献したことで市長にまで押し上げられる。
一方、ファンチーヌは、私生児である娘コゼットを宿屋を営むテナルディエ夫妻に預け懸命に働いた。
が、テナルディエからの度重なる金銭の要求についに体を壊し、転げ落ちるように娼婦となった。
ファンチーヌが未婚のまま子供を産んだ理由。
「夢やぶれて」という曲をご存知ならわかってもらえると思う。
あの歌詞そのままなのだ。
もとは普通の家の美しい娘だったのに、好きになった男ははじめから遊びで、子供までつくったくせに、ある日なんの悪気もなく冗談のように彼女を捨てて消えてしまった。
ファンチーヌの場面を読むのはつらい。
女性の人権がなかった時代に私生児を育てるのは、どんなに大変なことだろう。
若くて世間知らずなファンチーヌ。
彼女に落ち度があったとすれば人を疑わなかったことだろう。
人生でいちばん美しい時を地獄で過ごした彼女は、最期にやっとマドレーヌに救われる。
彼女の人生って何だったんだろう。
騙され裏切られ搾取され、若くして老婆のような姿で死ぬ…。
ファンチーヌはこの物語を構成する大事な登場人物だけど、現実の世界中にいる彼女のように不幸な人は?誰の記憶にも残らず一生を終えたたくさんの人たちは?
ファンチーヌが遺したコゼットは、やがてバルジャンとマリユスに大きな影響を与えていく。
それと同じように、私たちも誰かに、大なり小なり影響を与え合いながら生きている。
記録にも記憶にも残らなかったとしても。
守銭奴で悪人テナルディエ夫婦
ファンチーヌがコゼットを預けたテナルディエ夫妻は、守銭奴で詐欺師で悪人だった。
コゼットは夫妻の実の子供とは雲泥の差の扱いを受け、奴隷のようにこき使われていた。
コゼットを迎えに来たマドレーヌ(バルジャン)が金持ちだとわかるや否や、マドレーヌを誘拐犯呼ばわりして金を巻き上げようとする。
この悪役夫妻は物語の最後の方までしつこく関わってくる。
映画ではかなりコミカルなキャラにデフォルメされているが、小説ではかなり生々しい悪人だ。
そんな夫婦に育てられて、あとで出てくる彼らの娘、エポニーヌはどうしてあんなにいい娘に育ったのだろう。
マリユスへの愛が彼女を変えたのだろうか。
エポニーヌもこの家に生まれて来なければ、もう少しマシな生き方ができただろうに。
残念ながら映画や舞台には上映時間に限りがあって、この一家のほかの人物たちをバッサリ省いてしまっている。
これは私も意外なエピソードだったのであとの項で紹介する。
想い合うコゼットとマリユス、本心を隠して助けるエポニーヌ
コゼットを引き取ったマドレーヌ(バルジャン)は、彼の正体を知ったジャベール警部の手を逃れ、フォーシュルバンという名前で新しい生活を始める。
時が過ぎ、美しく成長したコゼットに恋をしたマリユス。
そしてマリユスに密かな恋心を抱くエポニーヌ。
『レ・ミゼラブル』はこの3人の恋愛模様も大事なストーリーの一部だ。
お互いを想い合っているコゼットとマリユスを見て、エポニーヌは自ら進んでキューピッドの役目をする。
コゼットが子供時代に一緒に育った娘と知っていても、嫉妬心を抑えて2人を助けようとするなんて!なんという健気な愛情だろう。
あのテナルディエ一家で育っても美しい心でいられるのは、生まれ持った魂が美しかったからか、それとも環境を言い訳にしてはならないという作者のメッセージなのだろうか。
反乱の旗をまとい逝くアンジョルラス
映画で強烈に印象に残っているシーンがある。
バリケードを破られ建物の隅まで追い詰められたアンジョルラスが、銃で撃たれるシーンだ。
はずみで窓から逆さまに吊られ、絡まった反乱の旗の赤い色が、まるで血のように見えるショッキングな最期。
このシーンはアンジョルラス役の俳優が自ら提案したそうだ。
いつの時代もフランスは変わらないものだなぁと思う。
『レ・ミゼラブル』では王政に対して、現代ではマクロン政権に対して、若者たちは自分の声をあげ世の中を変えようとする。
長い間抑圧され、貧富の差に憤りを抱いていたフランス国民、とくに若者たちは、王政でもなく帝政でもなく民がつくる政治を命がけで勝ち取ろうとした。
現代のデモがどうかはわからないけど、時を経てもフランス人に流れる血は熱い。
追うジャベールと追われるバルジャン
物語の全編を通して「追う者」と「追われる者」という因縁の2人。
トゥーロンの徒刑場からモントルイユ・シュル・メール、パリ…。
徒刑場で生まれ、法が絶対というジャベールは警部として大変有能で、バルジャンが行く先々に現れる。
そんな彼が6月暴動の最中、スパイ行為がバレたことでバリケード内のアジトに拘束された。
処刑を覚悟した彼を殺さずに解放してくれたのは、なんと今まで自分が追ってきたバルジャンだった。
ジャベールの信条は土台から崩れてしまった。
罪とは何なのか、善人の定義とは何なのか、彼はわからなくなってしまった。
この後のジャベールの選択は、例えるならコンピュータがクラッシュするようなものだろうか。
この物語に於ける彼の存在はジョーカーのようなものかも。
国から見れば完全なる善だけど、読者からは悪役として見られてしまう。
このジョーカーがひっくり返る場面はとても読み応えがあった。
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レミゼやっぱいいですよね、、、
コメントありがとうございます。
これは本当に時間をかけて読んで良かったと思う作品です。
レミゼ大好きです。
ジャンバルジャンがマドレーヌとして市長になった経緯は何だかわかりますか?子どもの頃児童書で読んだのですが、忘れてしまって。。
コメントありがとうございます。
児童書ではそのへんの事情は詳しく書かれてないでしょうね。
そこに至るまでの心の動きは是非とも完全版で読んでいただきたいところですが、
一つの大きな要素として、ジャン・バルジャンは意外と商才があったということです😅
そして何より、善き人であろうと律し続ける姿が、周囲の人々からの評価を、ひいては彼の人生を変える力になったのだと思います。
レミゼは人生哲学のような物語ですね。