『レ・ミゼラブル』ユゴー【完訳版!あなたはまだ本当のレミゼを知らない】

 

先日、フジテレビ開局60周年特別企画「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」というドラマを観た。

阪神・淡路大震災前後〜現在の日本を舞台に、豪華俳優陣の熱演が素晴らしかった。

『レ・ミゼラブル』は映画でも舞台でも観たことはあるけど、実は私、ユゴーと誕生日が同じということもあり、この作品には少なからず縁を感じていた。

完訳版の原作を読んだ今、私が知っていると思っていた『レ・ミゼラブル』は、この物語のほんの一部でしかなかったのだと思い知った。

長い長い物語だけど、もし私の書評を読んで挑戦してみようと思った方は、是非とも簡易版ではなく完訳版で読んでほしい。

あらすじ

幼い家族のためにパンを盗んで投獄されたジャン・バルジャン。

19年後に釈放されたものの行動を制限され、行く先々では冷遇され、食べるものも寝る場所さえもなかった。

唯一温かく迎え入れてくれた司教の善意さえ信じられない彼は、司教が大事にしていた銀の食器を盗んで逃げてしまう。

再び捕らえられた彼に、司教は「それは彼にあげたものだ」とさらに銀の燭台まで与えてくれた。

釈放の条件を破棄し再び逃亡者となるが、やがて新しい土地で市長を務めるまでになり、自分が司教に施された善を市民に与えようと日々行動していた。

だが、囚人だった頃とは別人のような紳士になった彼に、疑いの目を向ける1人の警官がいた。

ある程度ストーリーを知っている方へ

物語の背景

MEMO

1789年   フランス革命はじまり

1793年   ルイ16世処刑

1815年   ワーテルローでナポレオン敗北

1830年   7月革命

1832年   6月暴動

小説に描かれているのは、歴史的記述も含めると1789年から1833年の44年間のフランスだ。

2012年公開の映画でいうと、ジャン・バルジャンがトゥーロンの徒刑場から釈放された1815年から、彼が亡くなる1833年の18年間である。

物語の後半で若者たちが街にバリケードを築く戦いは、1832年6月5・6日の6月暴動のこと。

相次ぐ革命や戦争で国民は貧困に陥り、権力に虐げられていた。バルジャンがパンを盗んだのも、そんな社会情勢の中、飢えた幼い家族に食べさせるためだったのだ。

生きるために髪を売り、歯を売り、体を売る。そんな時代だった。

バルジャンを助けたディーニュ村の司教は、自分たちは限界まで切り詰めて質素な生活をし、それ以外の全てを民に分け与えるという聖人のような人。

そんな司教でも人間らしい思想はあるし、決して純粋な「善」ではないことが小説には書かれていた。それでも彼は、バルジャンに温かい食事と清潔なベッドを与え、罪を赦し、大事にしてきた銀の燭台まで差し出した。

これはバルジャンがはじめて受けた「愛」だった。

マドレーヌとファンチーヌ

司教の恩を胸に「正しい人」になろうと誓ったバルジャンは、モントルイユ・シュル・メールという街でマドレーヌと名乗り、地元産業を発展させることに貢献したことで市長にまで押し上げられる。

一方、ファンチーヌは、私生児である娘コゼットを宿屋を営むテナルディエ夫妻に預け懸命に働いた。が、テナルディエからの度重なる金銭の要求についに体を壊し、転げ落ちるように娼婦となった。

ファンチーヌが未婚のまま子供を産んだ理由。「夢やぶれて」という曲をご存知ならわかってもらえると思う。あの歌詞そのままなのだ。

もとは普通の家の美しい娘だったのに、好きになった男ははじめから遊びで、子供までつくったくせに、ある日なんの悪気もなく冗談のように彼女を捨てて消えてしまった。

ファンチーヌの場面を読むのはつらい。女性の人権がなかった時代に私生児を育てるのは、どんなに大変なことだろう。

若くて世間知らずなファンチーヌ。彼女に落ち度があったとすれば人を疑わなかったことだろう。

人生でいちばん美しい時を地獄で過ごした彼女は、最期にやっとマドレーヌに救われる。

彼女の人生って何だったんだろう。騙され裏切られ搾取され、若くして老婆のような姿で死ぬ…。

ファンチーヌはこの物語を構成する大事な登場人物だけど、現実の世界中にいる彼女のように不幸な人は?誰の記憶にも残らず一生を終えたたくさんの人たちは?

ファンチーヌが遺したコゼットは、やがてバルジャンとマリユスに大きな影響を与えていく。

それと同じように、私たちも誰かに、大なり小なり影響を与え合いながら生きている。記録にも記憶にも残らなかったとしても。

テナルディエ一家

ファンチーヌがコゼットを預けたテナルディエ夫妻は、守銭奴で詐欺師で悪人だった。

コゼットは夫妻の実の子供とは雲泥の差の扱いを受け、奴隷のようにこき使われていた。

コゼットを迎えに来たマドレーヌ(バルジャン)が金持ちだとわかるや否や、マドレーヌを誘拐犯呼ばわりして金を巻き上げようとする。

この悪役夫妻は物語の最後のほうまでしつこく関わってくる。映画ではかなりコミカルなキャラにデフォルメされているが、小説ではかなり生々しい悪人だ。

そんな夫婦に育てられて、あとで出てくる彼らの娘、エポニーヌはどうしてあんなにいい娘に育ったのだろう。マリユスへの愛が彼女を変えたのだろうか。

エポニーヌもこの家に生まれて来なければ、もう少しマシな生き方ができただろうに。

残念ながら映画や舞台には上映時間に限りがあって、この一家のほかの人物たちをバッサリ省いてしまっている。これは私も意外なエピソードだったのであとの項で紹介する。

コゼット、マリユス、エポニーヌ

コゼットを引き取ったマドレーヌ(バルジャン)は、彼の正体を知ったジャベール警部の手を逃れ、フォーシュルバンという名前で新しい生活を始める。

時が過ぎ、美しく成長したコゼットに恋をしたマリユス。そしてマリユスに密かな恋心を抱くエポニーヌ。

『レ・ミゼラブル』はこの3人の恋愛模様も大事なストーリーの一部だ。

お互いを想い合っているコゼットとマリユスを見て、エポニーヌは自ら進んでキューピッドの役目をする。

コゼットが子供時代に一緒に育った娘と知っていても、嫉妬心を抑えて2人を助けようとするなんて!なんという健気な愛情だろう。

あのテナルディエ一家で育っても美しい心でいられるのは、生まれ持った魂が美しかったからか、それとも環境を言い訳にしてはならないという作者のメッセージなのだろうか。

アンジョルラス

映画で強烈に印象に残っているシーンがある。バリケードを破られ建物の隅まで追い詰められたアンジョルラスが、銃で撃たれるシーンだ。

はずみで窓から逆さまに吊られ、絡まった反乱の旗の赤い色が、まるで血のように見えるショッキングな最期。このシーンはアンジョルラス役の俳優が自ら提案したそうだ。

いつの時代もフランスは変わらないものだなぁと思う。

『レ・ミゼラブル』では王政に対して、現代ではマクロン政権に対して、若者たちは自分の声をあげ世の中を変えようとする。

長い間抑圧され、貧富の差に憤りを抱いていたフランス国民、とくに若者たちは、王政でもなく帝政でもなく民がつくる政治を命がけで勝ち取ろうとした。

現代のデモがどうかはわからないけど、時を経てもフランス人に流れる血は熱い。

ジャベールとバルジャン

物語の全編を通して「追う者」と「追われる者」という因縁の2人。トゥーロンの徒刑場からモントルイユ・シュル・メール、パリ…。

徒刑場で生まれ、法が絶対というジャベールは警部として大変有能で、バルジャンが行く先々に現れる。

そんな彼が6月暴動の最中、スパイ行為がバレたことでバリケード内のアジトに拘束された。処刑を覚悟した彼を殺さずに解放してくれたのは、なんと今まで自分が追ってきたバルジャンだった。

ジャベールの信条は土台から崩れてしまった。

罪とは何なのか、善人の定義とは何なのか、彼はわからなくなってしまった。この後のジャベールの選択は、例えるならコンピュータがクラッシュするようなものだろうか。

この物語に於ける彼の存在はジョーカーのようなものかも。国から見れば完全なる善だけど、読者からは悪役として見られてしまう。

このジョーカーがひっくり返る場面はとても読み応えがあった。

映画や舞台では描かれなかった物語

ここからは完訳版の小説でしか読めない内容になるのでネタバレ注意。

プチ・ジェルヴェ事件

ディーニュの司教に救われたバルジャンは、生まれてはじめて受けた善、そして神の愛に衝撃を受けて改心する…と、映画や舞台では描かれている。

ところが、小説のバルジャンの精神は、今まで自分の中心を占めていた人間不信と怒りに、善と愛が取って代わろうとせめぎ合いをしていた。

深い葛藤に周りが見えなくなっていた彼の足元に、通りかかったプチ・ジェルヴェ少年の落とした銀貨が転がってきたのだが、バルジャンはそれに気づかずに少年を追い払ってしまう。

やっと事実に気づいた彼は少年を探すも見つけられず、後々まで禍根を残すことになる。

私はこの事件こそが物語のいちばん大事なエピソードだと思う。

善悪を示すバロメーターの針は、19年間の獄中生活で蓄積された強い負の感情により、錆び付いて固定されていた。

司教がその錆を落とし再び動くようにしてくれた。でもまだ混乱していて、このままでは元に戻ってしまう可能性だってあった。

その針を大きく善の方向に振り切らせたのが、このプチ・ジェルヴェ事件だったと思う。

永久礼拝修道院

コゼットを連れてジャベールから匿ってもらう修道院は、本来限られた者以外の男子禁制。

運良く匿ってもらえたのは、そこで庭師をしていたフォーシュルバン爺さんを、以前マドレーヌだった時のバルジャンが命を救ったという恩があったから。

フォーシュルバン爺さんが絡むエピソードはちょっとした冒険があって楽しい。

さて、永久礼拝修道院であるプチ・ピクピュス女子修道院では、修道女たちが禁欲と節制のほかに、交代で休みなく神に祈りを捧げる。

囚人と同じように過酷な生活を見て、バルジャンは思った。一方は犯罪があり、有期であり、暗黒があり、憎悪が生まれ、一方は純潔であり、終身であり、光があり、祝福と愛が生まれる。

かつて自分がいた劣悪な場所と、自ら望んで祈りを捧げる修道女たちとの違いに気づいていく描写は、とても力強く、バルジャンを通してユゴーの思想が伝わってくるようだ。

ガヴローシュの秘密

有名なドラクロワの絵画「民衆を導く自由の女神」。

あれは1830年の7月革命をモチーフに描かれた。ユゴーはそれを観て、女神の右側のピストルを持った少年をモデルにガヴローシュを書いたと言われている。

今までただのストリートチルドレンだと思っていたら、小説では少年の意外な出生が語られていて驚いた。

なんとなんと、彼はテナルディエ夫妻の長男で、エポニーヌとは姉弟だったのである。この夫妻には他にもガヴローシュの下に2人の男の子までいる。

テナルディエ妻は女児以外には全く愛情を注がず、両親はいるのに3人ともほとんど孤児と同じように生きてきた。

兄弟と知らず一夜の雨宿りを共にする幼い3人の場面に、なんとも言えない切ない気持ちになった。

過酷な毎日を、それでも明るく溌剌と生きるガヴローシュの健気さを見ていると、読んでる私も勇気付けられるような気がする。

ユゴーの見たフランス

完訳版『レ・ミゼラブル』には、物語とは別にフランスで起こった革命や戦争、宗教的・政治的観念、パリの下水道事情などがかなりのボリュームで書かれている。

もしかしたら、今まで完訳版に挑戦したものの、この部分で挫折してしまった人もいるかもしれない。私も完全には理解できない。だけど、それで遠ざけてしまっては大変もったいない素晴らしい小説だった。

ここを読むことで、現代の日本に居ながら、フランス革命以降の時代に生きた人たちの気持ちに寄り添うことができるのだから。

アンジョルラスが恋人を「祖国」だと呟いた気持ちに少しでも寄り添うことができれば、小説も映画も舞台もより楽しむことができそうだ。

おわりに

バルジャンがコゼットを育て始めてから、ずっと大事にしてきた鞄がある。コゼットにさえ中を見せない良い香りがする鞄。

コゼットがいよいよ巣立ち、ひとり残された部屋で彼は、そっとその鞄を開く。

彼がずっと大事に仕舞ってきたものが何だったのかは、是非自分の目で確かめてほしい。

親だったら、娘だったら、それ以外でも、きっと深い感動に包まれるだろう。

小説の序文で、このような出来事はいつの時代にもどこにでも起こりうる、というような事をユゴーは書いていた。

現代の日本でも、それこそ私の住む街にも、ファンチーヌやコゼットやガヴローシュはいるかもしれない。

決して遠い昔の遠い国のお伽話ではないのだ。

主題歌:レ・ミゼラブル・キャスト/民衆の歌

『民衆の歌』 レ・ミゼラブル・キャスト

『レ・ミゼラブル』のミュージカルは名曲揃いなのでどれも捨てがたいが、やっぱり「民衆の歌」がベストだと思う。この物語の土台を支えているのは民衆なのだから。

映画では「エピローグ」にも使われているが、戦いに敗れた若者たちが、屋根を超えるほどうず高く積み上げられたバリケードの上で歌うラストは壮観だった。

著者紹介

ヴィクトル・ユゴー(1802ー1885)

フランスのブザンソン生まれ。父はナポレオン麾下の将校。若くして文才を認められ、1882年に処女詩集を出版する。政治にも深く関わり、ルイ・ナポレオンの帝政樹立クーデターに反対して19年間の亡命生活を送る。『静観詩集』('56)『レ・ミゼラブル』('62)などの傑作をこの時期に完成。'70年に帰国後も創作を続け、83歳で亡くなると盛大な国葬が営まれた。

新潮文庫より

名前の表記は「ユーゴー」と書く場合もあるが、ここでは新潮文庫に倣って「ユゴー」を使用した。

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