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『小説・秒速5センチメートル』新海誠【忘れられぬ人、忘れられぬ言葉、通り過ぎてきた恋が今を作った】

はじめに

新海誠監督と聞けば、今や2016年に公開された大ヒット作『君の名は。』を浮かべる人が多いだろう。

来年(2019年)の7月には最新作『天気の子』の公開も決定しており、劇場へ足を運ぶ日が待ち遠しい。

私と彼の作品との出会いは偶々映画館で観た『星を追う子ども』(2011年公開)だった。

この作品は「喪失」をテーマに少女が異世界への旅を通して大切な人との別れ、そして自らに向き合っていく物語である。

当時、此処ではないどこかを渇望していた私は、その映像の圧倒的な美しさと相まって新海作品に心を奪われた。

そのすぐ後、飛びつくように遡って観たのが『秒速5センチメートル』(2007年公開)である。

新海監督作の映像は、早朝、まだ町が起ききらないひんやり澄んだ空気の中で、光に浮かび上がる景色がやけに鮮明に目に映るあの感覚を思い出させる。

それはあまりにも美しく、昨夜の恐れを一瞬にしてかき消すと同時に、総ての不純物が混じりこむのを拒むようで、その世界から置き去りにされるような切なさを植え付けられる。

またそこに詩的な独白が、響きのある音の中で静かに刻まれていくのが印象的だ。

そんな特徴が顕著に出ているのがこの作品であり、私にはやはり、新海誠監督といえば『秒速5センチメートルなのである。

さて、前置きが長くなったが本題に入ろう。

この作品には映画の原作をもとに新海監督自らが書き下ろした同名の小説が出されている。

映画版は一言でいえば「初恋の面影を追い続ける男」の話だったが、小説版ではどうだろう。


小説の流れ

小説版は映画版と同様に3部構成となっている。

第1章
小学から中学時代の貴樹の視点から親の都合で離ればなれになっていく初恋の少女・明里への繊細な想いが、漠然と立ちはだかる未来への恐れと期待とともに描かれる。

第2章
それから少し時が経ち、高校生となった貴樹に片想いをする同級生の花苗へと視点が移り、彼女が少しずつ歩き出していく姿を描く。

第3章
社会人となった貴樹に焦点が戻され、日々に埋没し心をすり減らした彼の内省で話が進む。


感想

小説版で特異なのは、第3章で貴樹が自らの過去を振り返る過程でかかわりを持った女性たちとの想い出が綴られるところだ。

初恋・明里への想いを引きずり続けた(ようにみえる)映画版とは違い、様々な女性との付き合いを通して傷つき、そして傷つけながら今にたどり着いた貴樹が描かれている。

人の過去を形作るのは人とのかかわりだとするのなら、とりわけ深く相手とかかわる恋愛は確かにその人を物語る上で重きが置かれるのだろう。

だから決して「なんだよ貴樹、初恋こじらせてないじゃん。リア充かよ。爆発しろ!」などと思わず(笑)そのなかでうまれた貴樹の心情の機微に寄り添いたくなる。

もっとこう明確な形があって、幸せで、あたたかいもので…。

幼い頃、漠然と明るい未来を期待するように、恋愛もいつしかぼんやりとした理想が頭の中に思い描かれる。

歩いていればいつしかそこにたどり着ける気になっている。

しかし、時を経てふと気が付けばどうだろう。

思い描いていた場所とはあまりにも遠くを歩いている自分がいる。

理想は幻想だったと気づく。

いつしか何かを思い描くことさえ難しくなり、自分が自分である限りどこにもたどり着けないのかもしれないと打ちのめされることもあるかも知れない。

その痛みは、それでもあったはずのいい記憶まで覆いつくしてしまう。
あぁ、自分で書いていて悲しくなってきた←

「その一言だけが、切実に欲しかった。~ずっと昔のあの日、あの子が言ってくれた言葉。」

愛、そして生きることに傷つきながらも歩き続けていた貴樹がふと立ち止まったとき、求めたのは遠い昔に明里が言ってくれた言葉だった。

「貴樹くん、あなたはきっと大丈夫だよ。」

貴樹が求めたのは明里の「言葉で、「明里」ではない。

人は変わる。遠く離れた人をどんなに求め続けても、自分の知らないところで相手は変わっていく。

そして自分自身も。だから再び出会えても、待ち望んだままの相手とは限らない。

けれど言葉は、変わらずにそこにあり続けてくれる。

縋りたくなるほど、縋りついてもいいと思えるほど、言葉というのは根深く揺るがないものなのだろう。

「あの男の子との想い出は、もう私自身の大切な一部なのだ。」

かつて貴樹の中の大部分を占めていた明里は、彼の中で「昔のあの子」「あの女の子」へと変わった。

どんなに強い想いも永続しないことに切なさを覚えないではなかったが、明里が貴樹との記憶を自分の一部だと言うように、貴樹も明里への想いをちゃんと消化していることに気が安らぐ。

明里へのかつての想いが消えてもその言葉を求めるのは、やはり彼女との想い出がどこか貴樹の拠り所になっているからだといえる。

幼い恋が心の支えになるのは、単に過去を美化しているだけではないだろう。

将来や社会という現実が瞭然とする以前の、幼いという免罪符の盾の陰で、ただ相手への想いだけに浸れる時間は重いはずだ。

比較する過去もなく、今よりもっと自分の汚さやずるさに無自覚でいられたころの恋は、確かに純粋というにふさわしい風を持っている。

実のところ、相手どうこうというよりもその頃の純粋な自分」「ひたむきな自分」を焦がれているのかもしれない。

貴樹の心情に思いを巡らせば、自ずと私自身の過去に重ねてしまう。

どうやら私の方は、想い出を想い出として消化するには時間がかかるタイプらしい…。

「女は案外あっさりしていて、あとに残されるのは男の方だ」なんてことをたまに耳にするが、そんなに簡単に言えるものだろうか。

男も女もないんじゃなかろうかとひよっこながらに思ったりなんかして。

だから貴樹が映画版同様に初恋を引きずり続けていたとしても私には責められそうにない。

歩き続ければ痛みは積もる。ふと誰かを求めてしまうとき、そう毎度毎度身近に求められる誰かがいるとは限らない。

ときには過去に拠り所を求めても、誰に迷惑をかけるわけじゃないし許してほしいものだ。(身近にいるくせに過去に求めるのはそりゃまたちょっと話が違うが)

それは過去に「囚われている」のとは違う。

過去、とりわけ過去の恋は、今の自分を作り上げた大切な要素の一部である。

そこに向き合うことはやはり、自分と向き合うことでもあるのだろう。貴樹がまた歩き出すように、例え過ぎた日のことでも温かな記憶はこの背を押す力を与えてくれるはずだ。


さいごに

過去の想い出は自分を傷つけることもあるが、助けてくれることもある。前へと進むために、必要な記憶もある。

映画版では貴樹を過去へ引きとどまらせる心の枷だった明里は、小説版では彼を未来へとその背中を押す鍵であった。

前者が「初恋の面影を追い続ける男の話」だとするなら、後者は「男が再び歩き出すまでの話」だと私は感じた。

秒速5センチメートルは桜の花びらが落ちるはやさだ。
冬を越えれば、再び満開の桜が待つ春が訪れる。


主題歌:山崎まさよし/未完成

『秒速5センチメートル』といえば、やはり映画版の主題歌『one more time, one more chance』(山崎まさよし)のイメージが強い。

私自身、この曲には映画をきっかけにドはまりして色んな人と一緒に聴き、多くの想い出がある。では小説版に、あえて別の曲を選ぶとするなら…

同じく山崎まさよしの曲で『未完成』

これにしよう。

オトナと呼ばれる年齢になっても、いや、なったからこそ、日々気づかされる自分の未完成さ。

一人きりではやりきれなくなるそんなときに、思い浮かぶ誰かがいてくれることに救われる。

冗談のように過ぎる毎日を
笑いとばしたり こだわってみたり
ただ先も見えず歩いているから
君の声だけでも聞きたいんです。


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