先日、第160回芥川賞・直木賞受賞作が発表された。
芥川賞は上田岳弘『ニムロッド』、町屋良平『1R1分34秒』の2作。
直木賞は真藤順丈『宝島』であった。
残念ながら受賞は逃してしまったが、「文學界 12月号」に掲載された芥川賞候補作、砂川文次『戦場のレビヤタン』が素晴らしかったので紹介したい。
「紛争地域」「武装警備員」などの厳つい単語の飛び交う作品を、女であり母親であるという全くかけ離れた属性の私がどう読んだか。
この作品を手に取る後押しになると嬉しい。
あらすじ・内容紹介
イラクの紛争地域。
英国系企業に雇われた日本人武装警備員K。
彼は任務につくため、チームリーダーである”キャプテン”、戦闘マニアのランボー、ミャンマー人傭兵のジョンと共にチームを組み、石油プラントに向かってた。
あと10日間任務をこなせば長い休暇が待っている。
Kは何を求めて自ら傭兵となったのか。
平和な日本での自衛隊員として、紛争地域の傭兵として、彼は何を見て何を思うのか。
ある日チームは思わぬ報せを受ける…。
戦場のレタビヤンの感想(ネタバレ)
ヘブライ語が語源。
「ねじれた」「渦を巻いた」の意味。
英語発音はリヴァイアサン。
旧約聖書に登場する海の怪物、悪魔。
神が造った最強生物。
硬い鱗と巨大な体をもち、口から炎、鼻から煙を吐く。
凶暴・冷酷・不死身で性別はメス。
戦場について考えること
まずこの作品を読む前に私が考えたこと。
「戦争とか紛争とか苦手だなぁ。国際情勢なんてよくわからないし。」
たぶん、大抵の女性は似たような思いを抱くと思う。
遠く離れたイスラム圏の情勢なんて、いくつかの単語は聞いたことがあっても、それがどうなっているかなんてさっぱりわからない。
縁あって、というかたまたま手元に「文學界 12月号」があったので予備知識なしで読んでみた。
面白かった。
先に挙げたような理由で手に取らないのはもったいない。
女性にも、そして若い人には是非とも読んでもらいたい作品だ。
紛争地域の武装警備員とは大変危険で過酷な仕事だ。
そんなところに好き好んで行く人がいるなんて、と普通は思うだろう。
ところが、世の中には軍隊に入って戦闘地域に派遣されたり、傭兵として危険な任務に志願したりするのが苦にならない人が一定数いるようだ。
じゃないと軍隊なんて成り立たないだろう。
ただ、日本人の傭兵がいるなんてことは考えなかった。
世界のどこかで争いが起こってるのは知ってるけど、それは日本とは遠く離れた場所で、私たちからは隠された場所なのだ。
主人公Kのチームリーダー、通称"キャプテン"のキャラクターは、私が思っていた「傭兵」とは違った。
元軍人だが大学で経営学を学び、教養のある人間だということが会話の端々から窺える。
クルド人のルーツを、両肩に蛇を生やしたアラビアの王ザッハークとイスラム教の悪魔の王イブリースの寓話に乗せて語ったり、ギリシャ神話の死の神タナトスとペシュメルガを重ねたり。
こういう部分巧いなぁと思った。
長々と歴史や地理の授業みたいに説明されると拒否反応が起きそうなところを、神話や寓意を語ることですんなりとその物語を受け入れられる。
異国の神秘性が増すような気さえする。
ここにいるのは仲間(グッドメン)か、敵(バッドメン)のどちらかだ
ああ、なるほど。
だから彼らには「今」しかないのか。
それぞれの民族の歴史や宗派や教義の違いなんて関係ないのだ。
グッドメンかバッドメンかを判断する基準は「今」しかないんだから。
我々が戦争を起こしているわけではなく、ましてや国や人がそんなことを始めようとしているわけでもなく、戦争それ自体が生き物で、その餌が土地と人であるということである
タイトルにある「レビヤタン」のことであろう。
たしかに、物事が大きく動き出し手綱が外れてしまって、もう制御できないほど空気がうねることがある。
そうなってしまえば、もう最初の意図や思惑なんかから全くかけ離れてしまって、もはや収集がつけられないなんてことはネットの世界でも現実でもよくあることだ。
規模が小さければいつかは静まり、規模が大きければそれが戦争になるのかもしれない。
自分の生身を感じるということ
時々、Kの日本での回想が挿入される。
最近の近隣諸国との問題や災害時の活躍をみても、自衛隊員には感謝と尊敬の気持ちしかない。
Kの心情に、元自衛官としての作者の心情がどれだけ反映されているのかわからないけど、普通のサラリーマンと違うことに私たち一般人が疎外感を感じさせてしまうのは悲しいことだ。
隊を辞めた後の無職期間に「ここじゃない」感をさらに強めた彼にとって、紛争地域への派遣は究極の自分探しの旅だったのかもしれない。
あるいは、「予定された死」から逃れるための「緩慢なる自殺」とか。
「自分で自分の生身を感じられる瞬間は、あまりないんだ」
キャプテンの言葉が印象に残っている。
私が生身を感じられる瞬間は痛みを持ったときだ。
それまで存在すら忘れていたのに、箪笥の角に足の小指をぶつけた時は、小指がまるで私の本体のように、いっときそこが存在の全てになる。
歯でも爪でも耳の中でも、もしかしたら心でも。
リストカットは自分を傷つけて痛みを感じ、流れる血を見ることで、自分はまだ生きてるということを実感する行為だと聞いたことがある。
痛みを感じる瞬間に自分の生身を感じるのは、記憶にも残るように思う。
少し調べてみたら、怪我や出産時など、大きな痛みがあるとアドレナリンが放出され、そのアドレナリンは記憶力を増強するそうだ。
兵士が帰還後にPTSDを発症しやすいのは、このメカニズムと同じようなものらしい。
ここではないどこかに本当の自分を求めに来たのに、Kが悟った答えは彼を深く傷つけはしなかったろうか。
死と隣り合わせの場所で彼が思ったことは、きっと今の若者たちの迷いに厳しい現実を突きつけるだろう。
レビヤタンとタナトス
タナトスはギリシャ神話において「死」そのものを神格化したもので、実体はなく地中深くに神殿を構えている。
夜を司るニュクスの息子で、眠りを司るヒュプノスの兄弟。
私はこれを見て地震や災害で亡くなった多くの人を思い浮かべた。
天災は誰のせいでもなく、どこに住んでいても不幸にも命を奪われてしまうことはある。
あるいは伝染病も。
ペストやスペイン風邪でたくさんの人たちが一度に亡くなっていく様を目の当たりにすれば、それは人智の及ばない死神の仕業と考えたくもなりそうだ。
Kは自分のことをレビヤタンに餌を与える給餌係に例えた。
できることなら、私は給餌係にも餌にもなりたくない。
ただ、もしかしたら私たちが気づいていないだけで、この世界全体がすでにレビヤタンの巨大な腹の中にあって、そこからは誰も逃れられないのかもしれない。
まとめ
もしも「戦」や「死」を擬人化するとしたら、性別は女性だと思う。
レビヤタンもメスである。
なんでかと訊かれると「なんとなく」だけど、私のイメージでは、生命を産み出す女性はその瞬間「未来の死」を産み出しているから。人はいつか必ず死ぬんだからそういうことになる。
お腹の中にいる赤ん坊にとっては母親の子宮が世界の全てなわけで、それが古来から神聖視されてきたということも私が女神を思い浮かべる理由かもしれない。
男性はこの作品をどう読むのだろう?若い人は?年配の方は?
それぞれ異なる立場からの感想を聞いてみたくなる作品だった。
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たぶん積ん読になりそうな本だつたが、後押しして貰って良かった。
積ん読になるところ、後押しして貰って良かったです。
コメントありがとうございます。
私の書いた記事がお役に立てたなら嬉しいです。
もしかしたら、出版された当時より、コロナ禍の今読むべき作品なのかもしれませんね。