物語の主人公は「宝石」という、これまでにない一風変わったストーリーを描いた、漫画『宝石の国』。
身体が宝石でできている28人は、自分たちを装飾品にしようと襲いかかる月人に備えるべく、戦闘や医療など、それぞれの才能に合わせた役割が与えられている。
キラキラと輝く宝石たちが戦う姿は、美しくも儚い雰囲気が漂っている。
今回は、そんな『宝石の国』の中から名言・名シーンを厳選して10個紹介していく。
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目次
- 過酷で役立つ仕事は自分の存在に疑問を抱かないためのよく効く麻酔です(ルチル)
- 発見への道は継続だ(金剛先生)
- すっごく変わってみるのはどう?いつもやらないことをしてみればいいんじゃない(ダイヤ)
- 何の役にも立っていないなら、いてもいなくても同じでしょ?(ダイヤ)
- そのくらい全く変わってしまえば誰にどう見られたり気にしないで・・・誰と比べたりもせず、嫉妬したり見栄をはったりしなくて済むのかしら・・・(ダイヤ)
- 僕さ誰かに頼られたのは、はじめてなんだ だから次は絶対僕が助けてあげなくちゃ(フォスフォフィライト)
- 死は何もかも台無しにする代わりに、生を価値あるものにする そう悪いものでもない(ウェントリコスス)
- 天敵がいるわけではないのに、争いを好み、決して満足することはない あの理由なき焦りようは、人間がそういう生き物だったのかもしれん(ウェントリコスス)
- 無謀は無能がやることだ(ヴォルツ)
- 見極めようと近づくほどわからないことが増えていく(フォスフォフィライト)
- まとめ
過酷で役立つ仕事は自分の存在に疑問を抱かないためのよく効く麻酔です(ルチル)
宝石たちが活動できるのは、昼だけ。
しかし、シンシャだけは、夜に見回りの役割を任させている。
それを不思議に思った主人公フォスフォフィライトが、医療担当のルチルに疑問を投げかける。
そのときに、ルチルが話したのがこのセリフだ。
シンシャの身体からは毒である水銀が放出され、それに触れてしまうと宝石たちは融けてしまう。
だから、仲間の安全のためにも、夜の警備を担当させられているシンシャであるが、害ある自分がなぜ存在しているのか疑問を抱いている。
一晩中歩きまわるのは、体力が必要で、大変な仕事。
しかし、それをあえて行うことで、自分の存在意義を考えないようにしているのである。
生きている意味や自分の存在価値を考えるのは、仕方のないことであるが、頭の中で考えてばかりいても答えは出てこない。
人間の存在意義は、人と関わることで生まれるものだ。
不安に気を取られそうになったときこそ、目の前のやるべきことに集中し取り組むことが、大切なのではないだろうか。
発見への道は継続だ(金剛先生)
夜の見回りの仕事を一人で行っているシンシャ。
その孤独から救おうと、フォスフォフィライトは、楽しくて、シンシャにしかできない仕事を見つけると彼女に言った。
しかし、どんな仕事が彼女にふさわしいのか考えあぐねていた。
そんなとき、フォスフォフィライトのそばを通りかかった金剛先生は、このセリフを言った。
発明家の王エジソンが「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」と言っているように、これまで誰も思いついたことのない何を見つけるための唯一の方法は、あらゆる手段を片っ端からやってみるしかない。
途中であきらめそうになっても、続けることができた者だけが、世界を変えるような大発見をできるのである。
すっごく変わってみるのはどう?いつもやらないことをしてみればいいんじゃない(ダイヤ)
先ほどの場面の続きで、考えても考えてもシンシャの仕事を見つけられないフォスフォフィライトは、ダイヤにアドバイスを求める。
それに対し、ダイヤはこのように答えた。
生きていると、毎日同じような生活に飽き飽きしてきたり、何かいいことはないかと考えたりする。
人間は、同じことをしているとそれが習慣になってしまい、新鮮味を感じられなくなってしまう。
だから、いつもと同様のことをしていると、結果も同じようになるだけである。
今の生活を変えたいと思うのなら、いつもの自分だったらしない行動をしてみることで、新しい世界が広がるのかもしれない。
何の役にも立っていないなら、いてもいなくても同じでしょ?(ダイヤ)
月人との戦いでは、ダイヤはいつもヴォルツに助けてもらってばかりいる。
彼女は弱い自分が情けないと思っているから、このセリフを言ったのだろう。
仕事のときや仲間と何かをするとき、力不足を感じ、自分の存在価値が分からなくなってしまうことはないだろうか。
スキルだけを比べてしまうと、自分より能力がある人はたくさんいるから落ち込んでしまう。
けれどそれは、自分自身も、もっとできるようになりたい、もっと役に立てるようになりたいという魂の叫びである。
ネガティブな感情は、決して悪いものではなく、自分を大きく成長させるためになくてはならない大事な栄養素。
悔しい感情を抱いたときこそ、自分自身を変えるチャンスでもあるのだ。
そのくらい全く変わってしまえば誰にどう見られたり気にしないで・・・誰と比べたりもせず、嫉妬したり見栄をはったりしなくて済むのかしら・・・(ダイヤ)
巨大なカタツムリに取り込まれたことで、姿が大きく変わってしまったフォスフォフィライト。
そんな彼女を見て、ダイヤは一人このセリフをつぶやく。
このシーンからは、強くなりたいと思っているのに、なかなか思うようにいかず、相方のヴォルツから弱いもの扱いされ、悩んでいるダイヤの様子がうかがえる。
自分の能力と誰かの能力を比べ、力不足を感じ、落ち込むことを経験した人は多いだろう。
自分と他人を比べても、意味はないと分かっていても、比べたくなってしまうのが、人間の性である。
しかし、落ち込んでいるだけでは、物事は先には進まない。
自分と他人を比べるだけでなく、今の自分と過去の自分を比べることで、成長している部分を見つけ出し、一歩ずつ着実に進んいることを実感できれば、前向きな気持ちで人生を歩めるのではないかと思う。
僕さ誰かに頼られたのは、はじめてなんだ だから次は絶対僕が助けてあげなくちゃ(フォスフォフィライト)
先ほどの続きの場面で、フォスフォフィライトを助けるためにダイヤが仲間たちに助けを求めたが、誰もまともに話してくれる人はいなかった。
そんなとき、フォスフォフィライトを助けるためのヒントを出してくれたのがシンシャだった。
元の姿にもどったフォスフォフィライトが、この事実を知ったとき、彼女が言ったのがこのセリフである。
この言葉からは、シンシャを孤独の闇から救ってあげたいと思っているフォスフォフィライトの強い決意が感じられる。
死は何もかも台無しにする代わりに、生を価値あるものにする そう悪いものでもない(ウェントリコスス)
壊れても、何度も再生することができる宝石たちは不死身だ。
そのため、死というものを実感することがない。
「死とは、どういうものなのか」というフォスフォフィライトの質問に対して、ナメクジに変身したウェントリコススが回答したのがこのセリフだ。
私たち人間には、いつか必ず「死」が訪れる。
「死」は、残された人達にとって、悲しさや辛さ、時には苦しさを生んでしまう。
しかし、「死」という終わりがあるからこそ、そこに向かって人生の役目を果たすことができる。
このシーンからは、動物でも植物でもなく人が人として、生まれてきたことの本当の意味を教えてくれる。
天敵がいるわけではないのに、争いを好み、決して満足することはない あの理由なき焦りようは、人間がそういう生き物だったのかもしれん(ウェントリコスス)
先ほどの続きで、海底を歩いているときに、ウェントリコススがフォスフォフィライトに言ったセリフ。
彼らは人間を見たことがなく、伝説の中でしか人間という存在を知らない。
日本という国は、今でこそ平和であるが、歴史を振り返ってみると、争いをしていた時期もあり、世界中を見渡すと、今この瞬間も戦争をしている国がある。
どれも国同士が争っているが、根幹をたどってみると、人の欲望によって引き起こされるものであり、人間vs未知の生物ではなく、人間同士の争いだ。
このセリフからは、同じ人類であるのに、どうして人間は争いを起こすのだろうかという疑問を、私たちに投げかけているのではないかと思う。
無謀は無能がやることだ(ヴォルツ)
今まで現れたことのない超巨大な月人がやってきて、どう戦ったらいいかとフォスフォフィライトが疑問を口にしたとき、ヴォルツが返答したのがこのセリフ。
ヴォルツは、自分とフォスフォフィライトの力だけでは、月人に勝つことはできないと悟り、助けを求めるためにあえて逃げるという選択を取った。
敵に向かって果敢に立ち向かう姿勢は、大事であり、多くの称賛を得られる行動であろう。
しかし、無理と分かっているのに、何の策略もなく飛び込んでしまうのは、高いリスクが伴う行動である。
力不足であると感じたのであれば、無理をして突き進まなくても、それを得意とする人や別の人に助けを求めることも時には必要な決断だ。
そんな決断ができる人こそ、チームを引っ張っていくリーダーの的存在になれるだろう。
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