あらゆる情報が流れ込んでくる現代において、「死」について考える場面は少なくないだろう。
テレビでは、若者の自殺や死亡事故、凄惨な事件などのニュースが繰り返し放送されている。溢れんばかりに入ってくる情報により、「死」は私たちにとってあまりにも日常的になりすぎたように思う。
人生において、喪失は遅かれ早かれ必ず訪れる。実際に喪失を経験したとき、どう向き合い、どう生きていくべきなのか。
本書は、大切な人の死を経験したある男の喪失から再生までを、記憶とともに巡る物語だ。
こんな人におすすめ!
- 村上春樹作品を読んだことがない人
- 「死」との向き合い方に悩んでいる人
- 「性」の描写がとことんリアルな恋愛小説を読みたい人
あらすじ・内容紹介
主人公・ワタナベが乗っていた飛行機が空港に着陸すると、スピーカーから流れ出してきたビートルズの『ノルウェイの森』。そのメロディーはワタナベの心を激しく揺り動かし、過去に失ってきた多くのものを思い起こさせた。
高校3年生の5月に、唯一の友人であったキズキが自殺した。そのおよそ1年後、東京の大学に進学したワタナベは、キズキの元恋人・直子と中央線の電車内で偶然再会する。それをきっかけに2人は休日にデートを重ね、徐々にお互いの距離は近づいていった。
4月、直子の20歳の誕生日に、ワタナベは初めて彼女と寝た。しかし、その直後に彼女はワタナベの前から姿を消してしまう。
7月のはじめにようやく直子から届いた短い手紙には、手紙を送ってくるまでの間に起きた出来事と現在の状況、そして彼女の想いが記されていた。
直子と離れている間に大きく変化していく周囲との関係。最大の喪失を経験し、それでも生きていかなければいけないワタナベが選んだ道とは――。
『ノルウェイの森』の感想・特徴(ネタバレなし)
テーマは「性」と「死」の2点
本書を語る上で「死」と同じくらい「性」への言及を避けてはならないだろう。というのも、本書では主人公・ワタナベと女性との性行為が、直接的でかつリアルに描かれているからだ。
著者である村上春樹氏も『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(岩波書店)のなかで「あの小説の中ではセックスと死のことしか書いていない」と語っている。
その夜、僕は直子と寝た。
ゆっくりとやさしく彼女の服を脱がせ、自分の服も脱いだ。そして抱きあった。
直接的な表現がなされている場面をここで取り上げることは控えるが、出版後に本書へ批判が集まったことにも頷けてしまうほどの生々しさがあった。
捉え方は読み手の価値観によって大きく変わるだろうが、筆者はこのリアリティを追求した描写が本書には必要だったように思う。
その理由として、本書の構成が驚くほどに単純であることが挙げられる。恋愛小説には、恋愛以外の要素、例えば芸術・戦争・病気といったものが含まれていることがほとんどだ。しかし、本書ではそれらがほとんど見られない。
村上春樹氏の作品と言えば、読み手を振り回すような伏線やトラップの仕掛けが特徴で、そこに惹かれるファンも多いのではないかと思う。一方本書では、著者も語っていたように「性」と「死」の2点のみに焦点があてられており、清々しいほど単純な構成になっている。村上春樹氏の小説を読んだことがない方へ、初めの1冊として本書をおすすめする理由もここにある。
テーマが絞り切られているからこそ、その2点において徹底的にリアリティを追求するのは当たり前で、「性」についてもぼかさずに伝えることが必須だったのではないだろうか。
「自分に同情して生きる」ということ
主人公・ワタナベと同じ寮に住む東大生の先輩・永沢は、本書のなかで次のような言葉をワタナベに伝えている。
「自分に同情するな
自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
直子の体調が悪化したとき、ワタナベは一時的に無気力状態に陥った。
腹が減るとそのへんにあるものをかじり、水を飲み、哀しくなるとウィスキーを飲んで眠った
無気力状態のまま日々を過ごすワタナベは、ふいに永沢の言葉を思い出す。
僕は久しぶりに洗濯をし、風呂屋に行って髭を剃り、部屋の掃除をし、買物をしてきちんとした食事を作って食べ、腹を減らせた「かもめ」に餌をやり、ビール以外の酒を飲まず、体操を三十分やった。
「自分に同情する」という言葉を、あなたは違和感を抱かずにのみ込めるだろうか。恥ずかしながら、筆者は初めて永沢のこの言葉に触れたとき、いったい何のことを言っているのかさっぱりわからず、咽喉にこれでもかというほど大きなしこりができた気分になった。
しかし、ワタナベが永沢の言葉を思い出したシーンを読んだとき、「あぁそういうことか」と、この言葉の意味を少しのみ込めた気がした。
自分をぞんざいに扱うということは、一見俗な感情から離れた状態となり、自分への興味を失ってしまったかのように思われる。
だが、よく考えてみるとそれはまったく逆で、適当に扱うことで自らを「可哀想」な状態へと押しやり、さあどうぞ同情してください、とでもいうような舞台をセッティングしていることに他ならないのだとわかった。
誤解がないように言っておきたいが、もちろん不可抗力で無気力状態になってしまうことはあるし、自分ではどうにもできないような大きな力に押し流されてしまうことは誰にでも起こりうる。
しかし、ワタナベと同じように、無気力状態で永沢の「自分に同情するな」という言葉を思い出したとき、ハッとさせられる人も多いのではないだろうか。少なくとも筆者には、思い当たる節がある。
厳しく思えるこの言葉に含まれたやさしさを少し理解できたとき、プラスの作用をもたらす言葉として曲解せず素直に感じられたことが嬉しかった。
無意識に無気力状態へ陥ってしまったとき、この強気な永沢の言葉を、プラスへ導く言葉として思い出してほしい。
自らの生活を、何より自分自身が大切にしてあげることで得られる精神的な安定を、どうか手にしてほしいと思う。
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主人公・ワタナベの背反性
本書の評価が大きく分かれる理由の1つに、ワタナベの背反性があるように思う。
また、本書はあくまで男性著者によって描かれた物語であり、多少なりともエゴだと感じる要素が含まれていることは認めなくてはならない。
ワタナベは、直子から自分のことを覚えておいてほしいと伝えられたとき、次のように述べている。
「いつまでも忘れないさ
君のことを忘れられるわけがないよ」
それでは、場面を飛んでおよそ18年後、37歳になったワタナベの言葉を見てみよう。
それでも記憶は確実に遠ざかっていくし、僕はあまりに多くのことを既に忘れてしまった
…驚くほど食い違っている。
これ以上は本書を読んで楽しんでもらいたいため、ここでの紹介は控えるが、この他にもワタナベの背反性を感じざるを得ない場面は多々ある。
ワタナベの背反性に共感できず、モヤっとした感情を抱いてしまう人も少なくないと思う。人によっては怒りを覚えるだろうし、途中で嫌になって読むことを放棄してしまうかもしれない。
しかし、ワタナベを心の底から軽蔑する人はいないのではないかと、筆者はなんだかそう思うのだ。
人が生きていく上で、大切な人に寄り添い、その人の想いに共感したいと思うことは避けられない。それゆえ、大切な人をやさしく包む言葉がとっさに出てくるのは当たり前で、そしてその時点では間違いないと確信しているからこそ出る言葉なのだと思う。
逆に、後々矛盾を生まないために寄り添う心をはねつけ続けることができる人は極めて稀だろう。
ワタナベの考えや行動に苦みを感じつつも、どこか憎めないと感じてしまう理由はそこにあるのではないかと思う。
まとめ
本書をこれから読む人は、どのような感想を抱くだろう。
もしかしたら、ワタナベに嫌気がさして読むことをやめてしまうかもしれないし、本書をきっかけに村上春樹氏の沼にどっぷりとハマってしまうかもしれない。
読み手によって湧いてくる感情が大きく違うからこそ、自分がどのような感情を抱くことになるのか、ワクワクしながら初めの1ページを開いてみてほしいと思う。
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