「とんびが鷹を生む」
ごく平凡な親から、とても優秀な子どもが生まれることを言う。
主人公のヤスさんは、昭和の父親そのもの。見栄っ張りで意地っ張り。実は涙もろくて、荒っぽい口調は照れ隠し。
そんなヤスさんの息子アキラのことを、周りの大人たちは「鷹」だと思っている。アキラは、優しくてよくできた息子と評判なのだ。
あなたの周りにも、こんな親子はいないだろうか。
もしかすると、あなた自身が「とんび」?いや、「鷹」の方?
それでは、ヤスさんとアキラの長い旅路を、じっくりと辿っていこう。
あなたの身近にもいる「とんび」や「鷹」に思いを馳せながら…。
目次
こんな人におすすめ!
- 親バカな人、またはその子ども
- じんわりと心に沁みる温かさに触れたい人
- お節介もたまにはいいものだと懐かしく思う人
あらすじ・内容紹介
28歳のヤスさんは、生涯最高の幸せに包まれていた。あとひと月ほどで、ヤスさんと妻の美佐子さんは、親になる予定なのだ。
ヤスさんにはずっと家族がいなかった。母親はヤスさんが幼い頃に亡くなり、父親は別の街で再婚したきり音信不通。ヤスさんには、実の両親の記憶はまったくない。美佐子さんも、広島に落ちた原爆で家族全員を亡くしていた。そんな2人が、いよいよ親になる。
生まれた長男は、アキラと名付けられた。幼いアキラと美佐子さんを見ていると、ヤスさんは涙が出るほど愛おしい気持ちになってしまう。
ある雨の日曜日、動物園に行けなくなった代わりに、アキラを連れてヤスさんの働く運送会社を見に行く。そのときの不慮の事故で、愛妻の美佐子さんを失ってしまう。
やがてアキラは、母の事故の原因を、周りの大人たちに聞いて回るようになる。小学校卒業式の前夜、一緒に風呂に入ろうと、ヤスさんはアキラを誘う。そこでヤスさんは、事故の真相について、思わず嘘の告白をする。
ときにはぶつかり合いながらも、周りの大人たちに助けられて、ヤスさんとアキラは、父と息子の絆を確かなものにしていく。
『とんび』の感想・特徴(ネタバレなし)
不器用で空回りするヤスさんが、切なくてどこか懐かしい
ヤスさんは、熱い男だ。しかし、アホな親父とも言われている。あふれ出る自分の気持ちを、うまく伝えることができない。どうしようもできずに、乱暴な行動や悪態が出る。ときに暴走して、周りの人も巻き込んでしまう。それなのに、どこか憎めない。
ああ、こんな人いる、と誰もが思うだろう。するとヤスさんの物語は、私たちの物語になっていく。
ヤスさんは、一杯飲み屋「夕なぎ」の女将で幼い頃から姉同然だった「たえ子ねえちゃん」の前だけでは、素のヤスさんになれる。酒の力も借りて、どうにか本音を言うことができるのだ。
たとえばアキラが生まれたとき、ヤスさんはたえ子ねえちゃんの前で、「幸せすぎて悲しくなってしまう」と涙声で言う。
「幸せいうて、こげなもんなんか。初めて知った。幸せすぎると、悲しゅうなるんよ。なんでじゃろう、なんでじゃろうなあ……」
幸せが続くことを願いながら、どこかで失うかもしれないと恐れる。そんな親としての複雑な感情が、ヤスさんを悲しくさせるのだろう。
ヤスさんの愛妻ぶりも、また微笑ましい。面と向かっては言えないけれども、美佐子さんが大好きな気持ちが、ふと溢れてしまう。
「おまえの子じゃったら……」
つづく言葉はおにぎりを頬張って、わざともごもごと——「優しい子になるわい」
美佐子さんを不慮の事故で失った後、まだ死の意味を理解していない幼いアキラとともに、ヤスさんは途方にくれる。
ここ、なのだ。ここにいるはず、なのだ。いてくれなければ困る。いてほしい。いてください。ここ、ここ、ここ……
畳み掛ける「ここ」で、ヤスさんの悲しみとやるせなさが積み重なっていく。
東京の大学を受験したいというアキラに対しては、手放したくない気持ちと応援したい気持ちとがせめぎ合う。子離れできないヤスさんの、揺れ動く気持ちが強く伝わってくる場面がある。ほとんど愚痴の独り言をはさみながら畳み掛けてくる、ヤスさんの「親とは」の自問自答だ。
親とは、割に合わないものだ——。
「のう、そげん思わんか?しんどい思いをして子どもを育ててきて、なんのことはない、最後は子どもに捨てられんよ。自分を捨てる子どもを必死に育ててきたんやと思うと、ほんま、自分が不憫になってしまうど」
親とは、寂しいものだ——。(…)
親とは、哀しいものだ——。(…)
そして、覚悟を決めたように、ヤスさんが辿り着いた境地は。
親とは……。
親とは……。
親になって、よかった。
重松清さんの巧さが光る場面の一つだろう。
少し時代遅れにも見えるヤスさんは、誰もが懐かしさを感じる父親の姿にどこか重なっている。
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周りの大人たちの真剣なお節介がひたすら温かい
2人だけだとどうしてもギクシャクしてしまう、ヤスさんとアキラ。そんな親子を、ときには叱って支えてくれる大人たちがいる。
特に、ヤスさんと幼馴染の照雲の父、海雲和尚がかっこいい。
子どもの頃、悪さをしては叱られて、仁王様の前に木に吊るされていたヤスさんと昭雲。彼らにとって海雲和尚は、大人になってからもおっかない父親だ。そんな海雲和尚が語る言葉は、ときにはハッタリがあるものの、ヤスさんや読者の心の深いところに響く。
アキラが初めて保育園で喧嘩した日。喧嘩相手のミチロウのお母さんの優しい様子を見て、アキラは泣き出してしまう。そんなアキラに対して、何をしてやれるのかと、ヤスさんは途方に暮れる。
海雲和尚は、幼いアキラに対しても真剣に向き合う。寝ていたアキラを起こし、夜の雪の海へと連れていく。そこで海雲和尚は、着流しの袂から大きな数珠を取り出して、気合いを込めた声で語るのだ。
アキラ、お前にはお母ちゃんはおらん。背中はずうっと寒いままじゃ。お父ちゃんがどげん一所懸命抱いてくれても、背中までは抱ききれん。その寒さを背負ういうことが、アキラにとっての生きるということなんじゃ
まだ保育園児のアキラに、こんな芝居がかった語りを披露しても、と思う。しかし、アキラは黙って聞いている。
アキラの背中に、海雲和尚は手を当てる。ヤスさんも、昭雲も手を当てる。するとアキラの背中がすっぽり覆われる。
アキラ、おまえはお母ちゃんがおらん。ほいでも、背中が寒うてかなわん時は、こげんして、みんなで温(ぬく)めてやる。おまえが風邪をひかんように、みんなで、背中を温めちゃる。ずうっと、ずうっと、そうしちゃるよ。
海雲和尚の語りに、ひっくひっくとしゃくり上げたのは、なんとヤスさんだ。アキラを慰めているようで、実はヤスさんが救われている。
海雲和尚は、ヤスさんに言う。
「おまえは海になれ」
地面には悲しいことが積もっていくが、海は知らん顔をして呑み込んでいくから。海雲和尚は、ヤスさんとはまた違う、力強い存在感と安心感をもたらす、もう一つの父親像だ。
後にヤスさんは、こう語る。
「お父さんの男手一つだったんですよねえ」
編集長が言うと、ヤスさんは「一つと違います」と首を横につった。「手はなんぼでもありました。ただ親とは違ういうだけで、アキラを育ててくれる手は、ぎょうさんあったんです。ほんまに、ぎょうさん、ぎょうさん、あったんです」
「ぎょうさんの手」は、言ってみれば、お節介な大人たちの手だ。しかし、真剣なお節介というものは、迷惑やうっとうしさを超えて、ひたすら温かい。
親が子を、子が親を思う気持ちは必ず伝わると信じられる
『とんび』でもっとも心震える展開を見せるのは、ヤスさんとアキラの2つの嘘が交錯する場面だ。
ヤスさんは、幼いアキラに美佐子さんの亡くなった事故のことを聞かれて、本当のことを言えずに偽りの告白をしていた。これが1つ目の嘘。
その嘘は訂正されることなく、時は経ていく。しかし成人式を迎えたアキラも、ヤスさんに優しい嘘をつく。これが2つ目の嘘。
ようやくすべてを理解したとき、ヤスさんは言う。
「ほいで、今日、生まれて初めて息子に抜かれた」
直接口には出さなくても、お互いを思いやる気持ちが溢れるこの場面を、ぜひじっくり味わってほしい。父と息子が支え合いながら過ごした日々が真実なのだから、2つの嘘はただ温かなものへと昇華していくようだ。
どんな家族もいずれは欠け、形が変わっていく。欠けたりつぎはぎだったりしても、親が子を思う気持ちはきっと伝わっていく。『とんび』は読者にそう信じさせてくれる。
まとめ
『とんび』は、しみしみのおでんのダイコンみたいに味わい深い。
人との密な関わりが持ちにくい今だから、素朴で濃密な交流やそこから生まれる温かな思いやりを、私たちは無意識に求めているのかもしれない。
『とんび』から沁み出る優しさは、私たちを満たし、やがて涙となって溢れ出るだろう。
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