小貫信昭著『Mr.Children 道標の歌』は「introduction」で述べている通り、まさに“読むベスト・アルバム”だ。
本稿では、YouTubeのティザー映像のように本書の一部を紹介し、その上で現在のミスチルについて考察していく。
目次
ミスチルの教科書『Mr.Children 道標の歌』。メンバー4人が辿ってきた歴史をこれ一冊で!
著者の小貫信昭はベストアルバム『Mr.Children 1992-1995』『Mr.Children 1996-2000』(通称「肉」「骨」)、『Mr.Children 2001-2005 〈micro〉』『Mr.Children 2005-2010 〈macro〉』でライナーノーツも担当している。
ミスチルに限りなく近いライターで、ミスチルファンのなかには知らず知らずのうちに出会っていたという人もいるだろう。
本書はミスチルの25年間を追いかけたノンフィクションだ。
メンバー4人が辿ってきた歴史をこれ一冊で抑えることができる。
ミスチルの教科書とも言えるし、だんだんと大きくなっていき、その後も紆余曲折が続く数々のエピソードは展開に満ちていて小説的でもある。
執筆にあたって取材をしたメンバーや関係者の新たな証言をもとに、彼らの代表曲や重要曲を中心に取り上げ、その魅力を紐解きつつ、これまで門外不出だったエピソードも交えていき、ミスチルについてたっぷりと綴られている。
非常に読みがいがある一冊だ。
しかし、あまりのボリュームで一部を掻い摘むことが困難であるため、彼らのひとつのターニングポイントでもあったシングル『名もなき詩』と5thアルバム『深海』について綴っていく。
ミスチルの新たな姿勢を提示した、大ヒットシングル『名もなき詩』
『名もなき詩』は1996年2月5日にリリースされた楽曲だ。
当時、ミスチルは『CROSS ROAD』、「innocent world」、『Tomorrow never knows』など特大ヒットを放ち、ミスチル現象を巻き起こしていた。
さらにボーカル桜井和寿は桑田佳祐と『奇跡の地球』を共作。
前振りにしてはあまりにも贅沢で重厚な流れを経て、『シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜』などを挟み、生まれたのが『名もなき詩』だった。
新たなミスチル像が伝わるシングルにする、というテーマが明確にあり、ミスチルのパブリックイメージだったポップ感に逃げることなく、新たな姿勢を提示する作品を目指した。
楽曲はドラマの主題歌として書き下ろされたものになったが、桜井はあえて初回の台本を読み込まずに、ドラマのテーマと自然と重なり合う普遍的なものとして取り掛かる。
テーマに沿って曲を作る応用力が当時の桜井にはすっかり身についていたが、敢えてやり方を変えたのは自分のなかに新たな発見を得ることに繋げるためだ。
まず生まれたのが”Oh darlin”のフレーズで、そこを起点として作詞が始まった。
“Oh darlin”を反芻しながらジョギングしているうちに”僕はノータリン”というフレーズが浮かんだ。
ちなみにこの言葉、当時は放送禁止用語。
ドラマ主題歌として使う楽曲に放送禁止用語を含んだ歌詞をぶつけるという異例さがその存在感をより際立たせた。
テレビ用には”言葉では足りん”と歌詞が替えられていたが『ミュージックステーション』で披露した際には、歌詞テロップを無視して”僕はノータリン”と歌ったという逸話がある。
また、冒頭の”ちょっとくらいの汚れ物ならば残さずに全部食べてやる”は桜井が過ごす日常から着想を得たもの。
当時、幼かった我が子との食事がヒントとなっており、日常が楽曲に還元され、普遍的なメッセージを持っていく。
弾丸のようなCメロの早口言葉は佐野元春のラップから影響を受けて誕生した。
補足すると佐野元春はアメリカのシンガーソングライター、ブルース・スプリングスティーンから影響を受けておりロックを鳴らしていたが、途中で音楽性が変化。
ヒップホップを取り入れてアルバム『VISITORS』で賛否両論を巻き起こした。
日本のメジャーシーンのなかで初めて明確にヒップホップと向き合った作品としても有名である。
また、ミスチルもブルース・スプリングスティーンとは関連がある。
それが『Tomorrow never knows』だ。
「”♪はーてっ しなぁーいっ”っていうのは、確かにスプリングティーンの”♪びこぅーずぅ ざなぁぁーいっ”みたいなところがあった。引っかけ引っかけ、捲っていくみたいなところは、コードも含めて参考にしたところがあった」
と本書のインタビューで答えている。
複雑で不思議な音楽の繋がりを感じさせられるエピソードだ。
“自分らしさの檻の中で もがいてるなら”のフレーズは桜井が自らに宛てて書いたもの。
それまでの僕には、得意なジャンルに収まって、既成概念のなかで満足してしまうところがあった。でも、そこを突き破って、新しいものを創らなければいけない。こうして歌詞にすることで、自分自身にプレッシャーを与えようともしていた
強い覚悟がなければ作品のなかでこんなこと言えないだろう。
聞き手に寄り添う歌詞であると同時に、自身が貫かんとする信念もそこに織り交ぜてしまう巧みさ。
桜井が舌を出すというパンクの精神が宿る挑発的なジャケットもミスチルのなかでは新しさを出すための工夫の一つだった。
一般的に受け入れられるポップなデザインにしないという挑戦に舵を切り、結果的にこの楽曲は大ヒットを記録していく。
ミスチルファンの踏み絵。ディープでヘヴィーな問題作『深海』
やがて楽曲は問題作であり名盤の『深海』に収録される。
全曲通して一曲にも聴こえる組曲のような作り方になっているが、当時のファンの多くはその構成に慣れていなかった。
そのため、ミスチルのファンを続けるか否かの踏み絵のようなアルバムだと称されていた。
『深海』はアナログサウンドに特化した存在感ある質感に仕上がっている。
シングルカットされた『名もなき詩』を除いた13曲がニューヨークにある”ウォーターフロント・スタジオで録音された。
スタジオの所有者であるヘンリー・ハッシュはアナログを愛するあまり、シンセ嫌いとして有名で、当時はアナログ大魔王と呼ばれていた。
アルバムの一曲目の『Dive』で潜水音を用いるアイデアは早くから生まれていたが、シンセ嫌いのヘンリーと交渉の末、アナログシンセを使うことで事なきを得てアルバムに収録されていった。
このスタジオでまっ先にレコーディングされたのは『花 -Memento-Mori-』。
サブタイトル部分は”ヒトは必ず死ぬことを忘れるな”という意味のラテン語から由来している。
サブタイトルを引用することを勧めたのはデビュー当時からタッグを組んでいるプロデューサーの小林武史で、
“花”という美しいものの横に、敢えて言葉をぶつけることで、モノの見え方が表面的ではなく、彫りを深くした。
と表現されている。
ジャケットに描かれている一脚の椅子はアンディ・ウォーホルの『エレクトリック・チェアー』にインスパイアされたもの。
作品が所蔵されている滋賀県立近代美術館のサイトには以下のように解説されている。
部屋の片隅にぽつんと置かれた電気椅子を極めて無表情に、即物的に提示したこれらの作品は、現代社会の中で隠蔽されている「死」の存在を暴き出す。
収録曲に放送禁止用語が含まれていること、『臨時ニュース』と題されたオーバーチュアがあること、とても楽しげとは言いがたい雰囲気のジャケット。
様々な挑戦がひとつに集約していく。
結果、前作にあたる『Atomic Heart』のポップさとは対照的に、夢や希望へのアンチテーゼを含み、聞き手の生死観までをも問いただす、ディープでヘヴィーなアルバムに仕上がった。
上記の内容が深掘りされている章「1995-1996 名もなき詩」には、『深海』のレビューが筆圧高めに書かれている。
今すぐにでも一曲通して聴きたくなる上に、オチも粋。
読みたいけど聞きたい、聞きたいけど読みたいという幸福な悩みが続いていく。
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