詩集『宇多田ヒカルの言葉』は宇多田ヒカルを詳しく知らない人にこそ、手にとって欲しい一冊だ。
彼女から放たれていく言葉の温かみが、デジタルでは味わえないインクの匂いや、紙の質感に加えて、読んでいる場所の空気感と溶け合う贅沢な本である。
言葉の余韻、その懐の深さに果てしなさを感じる。
詩集『宇多田ヒカルの言葉』のあらすじ
本書は宇多田ヒカル初の歌詞集だ。
デビュー楽曲『Automatic』から2017年12月にリリースされたシングル『あなた』までの歌詞が収録されている。
掲載はボーカルレコーディングが行われた順になっており、アルバム収録順とは微妙に異なっているのもファンにとってはポイントだろう。
歌詞のほかに、作家の吉本ばななや写真家の石川竜一、映画監督の河瀬直美に糸井重里、小田和正、最果タヒ、SKY‐HI、水野良樹(いきものがかり)の8人による”宇多田ヒカルに宛てた文章”が掲載されている。
深化し続ける歌詞の背景
歌詞は詩であるが、厳密には詩ではない。
メロディーの制約がある以上、言葉には柔軟性が求められる。
歌詞を先に書き、メロディーをはめていく人と、メロディーありきで歌詞を当てはめていく人の2パターンのアーティストがいる。
どちらも”楽曲”という観点でみると重要視されるのはメロディーであり、最終的には文章としての独立よりも、メロディーが優先される。
宇多田ヒカルの楽曲制作は作曲から始まり、出来上がったメロディーに歌詞が肉付けされている。
彼女の楽曲を聴いている限り、言葉の字余り感や不足感は全く感じられない。
その手腕に驚かされるばかりだ。
歌詞として読むと脳内で勝手にメロディーが流れてしまうが、この文章を”詩”として一定のリズムで読むと、面白いくらいスラスラと読めてしまう。
それは詩としても独立している証拠であり、本書に載っている歌詞たちがメロディーの呪縛から解放されたことを感じられる。
ぼくはくま くま くま くま
車じゃないよ くま くま くま『ぼくはくま』
ありがとう、と君に言われると
なんだかせつない
さようならの後も解けぬ魔法
淡くほろ苦い
The flavor of life『Flavor Of Life』
『海路』や『テイク5』など、アルバム曲の歌詞は宇多田ヒカルのなかでも一際難解である。
メロディーがあるとその難しさを一旦置いておいて曲として楽しめるが、その難解さがかえって詩としてのリズム感や言葉の含みを立体的に感じさせる。
たくさんの景色眺めたい
額縁を選ぶのは他人
かくれんぼ 私は果てしない『海路』
『宇多田ヒカルの言葉』では彼女のキャリアを一期、二期、三期と分けている。
デビュー時から2001年まで”自分の無意識にあるものをすくい上げていた”という一期。
表現の密度が増して物書きとして新しい段階に突入し、MVからサウンドプロデュースにも関わるようになっていった2001年から2008年を二期。
そして活動休止を経て復活を遂げたのが三期だ。
三期では明らかに歌詞のテイストが変わっている。
普遍的な言葉が今までよりも増えたのだ。
日本語の奥ゆかしさを感じられる、人肌に温かくて柔らかい歌詞に深化している。
活動休止が彼女のアーティスト性に大きな影響を与えたといっても良いだろう。
15歳でデビューを果たした少女は、類まれなる才能によって一躍ポップスターになった。
一世を風靡した演歌歌手の娘として生を受け、普通とは違う生活を強いられながらも、多くの人に愛されるポップスを作っていた。
活動休止をした大きな理由は”人間活動”に専念するためである。
デビューから常にチャートのトップ10に君臨し続け、普通の生活を知らなかった宇多田ヒカルにとって、この人間活動期間は1人の人間としての第二の誕生とも言えるだろう。
イギリスへ引っ越し、そこで大学生くらいの友だちが出来てクラブに行ったり、時には危ない目に会ったりと、失われていた青春をダイジェスト的に取り戻していく。
その最中、母・藤圭子が亡くなる。
彼女は深い悲しみの海に沈みこんだ。
そしてしばらく時間が経った頃、再婚をし、出産。
もう曲は作れないと思っていたが、子どもが出来たことで仕事をしなければと思うようになったという。
プライベートがダダ漏れとなり、逃げも隠れも出来なくなってしまったことで、本名である宇多田光としての人生も、アーティスト名の宇多田ヒカルで表現できるようになったのだ。
そうしてリリースされたアルバム『Fantôme』は藤圭子に捧げられた作品である。
“日本語で歌うことがテーマ”と公言しており、そこにも亡き母が日本独自の音楽文化である演歌の名手だったことによる影響を感じてしまう。
死生観が滲み出ていて、復帰作というハッピーなムード感はあまりなく、その“重さ“と日本語との相性が絶妙で、パーソナルな悲しみを歌ったアルバムでありながらも、多くのファンから愛される作品となった。
思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます
尚も深く
降り止まぬ
真夏の通り雨『真夏の通り雨』
また『あなた』は母親目線で我が子に向けて作られた作品である。
母のことを歌い、今度は自分が母の立場となって慈悲深い愛情を書き起こしているドキュメンタリー性に胸が熱くなる。
あなた以外思い残さない
大概の問題は取るに足らない
多くは望まない
神様お願い
代わり映えしない明日をください『あなた』
歌詞を無視して聴いた場合の宇多田ヒカル
宇多田ヒカルの魅力は歌詞だけではなく、楽曲にもある。
三期ではそのサウンドはさらに繊細なものになっていく。
一期、二期が華やかなファッションで着飾っている姿だとしたら、『Fantôme』以降は打って変わり、裸に近いイメージだ。
アルバム『Fantôme』の最後を飾った『桜流し』は柔らかく儚いピアノの旋律が美しく、それでいてラストの怒涛の畳み掛けが激情的で胸に深く刺さる。
歌詞のないインストゥルメンタルで聴いても全く物足りなさを感じない。
楽曲は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の主題歌にもなっていて、印象的なピアノのメロディーは劇中のシンジとカヲルを彷彿とさせた。
復帰後、宇多田ヒカルは今の音楽のトレンドである”音数の少ない音楽”を自身の音楽性と合わせて巧みに取り入れていて、普遍的でありながらも、しっかりと実験的な要素のある、どの楽曲も焼き増し感はなく、新鮮味が溢れている。
昨年リリースされた配信限定シングル『誰にも言わない』はオルタナティブ性が非常に強く、予想を裏切られる楽曲構成になっていることに加えてマスタリングが繊細。
迫ってくるような音、遠退いていく音からは、様々にその姿を変えていく河流のようなしなやかさを感じた。
過去の楽曲に魅力が欠けていたと言われれば、無論、そんなことはない。
第一期である『Automatic』はブラックフィーリングが強く、フィジカルに直接作用するようなリズムに引っ張られる。
それが日本語の発語感とも見事に調和していて、この上ない気持ち良さを感じられる。
『Can you keep A secret』のBメロにある〈伝えよう、やめよう〉、〈信じよう、だめだよ〉のコーラスは1フレーズでありながら音程に大きく差があり、前者では高く、後者は低い。
声の高低差を持って、対照的な心理で揺れ動く不安定な乙女心を表現している点にハッと気付かされる。
第二期の代表作である『traveling』はシャンシャンシャカシャカ、シャン、シャ、シャン、シャ、シャンという鈴の一音のリズムが特徴的で、この鈴の音を耳にするだけで「この曲はtravelingだ」とすぐに楽曲を思い浮かべることができる。
グルーヴィーなベースもさることながら、キックの強い電子ドラムにもインパクトがあり、ついつい体が揺れてしまう。
かと思えば、徐々にフェードアウトしていってやがて訪れる無音には、歌詞にある〈春の夜の夢のごとし〉的な、日本の原風景のような余韻が宿っている。
宇多田ヒカルの楽曲は歌詞以外もかなり凝った構造になっていて、聴くたびに新たな発見ができるのだ。
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