8月、ヨルシカの3rdフルアルバム『盗作』のツアーが始まった。作品がリリースされたのはおよそ1年前。作品がリリースされてからライブまで1年寝かせることはかなり珍しい。本稿では『盗作』がどういうアルバムであったか、ツアー開始に合わせて再度おさらいする。
目次
こだわり抜かれた装丁と「盗作家」のインタビューが読めるオリジナル小説の感想
出典:amazon.co.jp
『盗作』の初回限定版はかなり丁寧な作品として仕上がっている。小説、歌詞カード、CD、カセットが分厚い一冊の本の形でまとまっており、ずっしりとした重さが心地良い。
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通常版のジャケットは実写やイラストをコラージュしたもので、手がけているのは永戸鉄也というコラージュアートの名手だ。過去にはRADWIMPSの『アルトコロニーの定理』のジャケットなども手掛けた。
記載されている『盗作』の文字も、ただ単に打ち込まれたものではなく、ゴシック体、明朝体など様々な書体から一部を盗んで作り上げたオリジナルな文字だ。「既存のものを盗んで新たに作る」というコンセプトをあらゆる角度で体現している。
付属品の小説は約130Pにも及ぶ。小説単独での発売はないため、付属品と記したが、オマケレベルの作品ではない。仮にCDを聴かずとも、小説だけ読んでも十分に満足出来る仕上がりだ。
初回限定版『盗作』の面白いところは、CDの内容を補完するための小説ではないところにある。もちろん繋がりがあるが、描かれている部分が違う。
CDは“一人の男が音楽を盗み、自分の作品を作る”までのストーリーが描かれているのに対し、小説では“その盗作家のインタビュー”が描かれている。インタビューのため、必然的に主人公の過去が描かれており、楽曲の肉付けをする。曲とは描かれている部分や角度が違う結果、補完し過ぎない余白がしっかりと残されている音楽となった。
初回限定版の中には、1本のカセットテープがついている。これは小説内で少年が弾いた『月光ソナタ』をモチーフにしており、小説での物語をより立体的に感じることができる。
また、カセットは本の中に収納されている。ページの中心部が長方形に切り取られていて、それが何枚も重なって出来た空間に収められている。
アートワークとしては美しいが、歌詞カード、小説と連続した形で現れる、本の空洞によって、ページが無駄に増え、小説が若干読みにくいというデメリットにもなってしまっている。
無理やりひとつにするのではなく、小説は本として、カセットテープはカセットとして、別々にした方が使いやすいのではないだろうか。そんな不満も小説を読むにつれて、この本の穴にも意味があることが判明し、マイナスの感情は一気に裏がえる。
盗作と題されるだけあって、作品の中には様々なオマージュが見受けられる。
1曲目のインスト楽曲『音楽泥棒の自白』はベートーヴェンの『月光』が引用され、5曲目の『青年期、空き巣』にはグリーグの『朝』が引用されている。さらにその2曲はジャケットを担当した永戸のアートワークからインスピレーションを得て作られた。
シングルカットされた『思想犯』は、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルの小説『1984』から。歌詞は大正時代の俳人である尾崎放哉(おざきほうさい)の俳句と彼の人生をオマージュしている。
分かりやすいものやn-bunaが公表しているものだけでもこれだけ多く表れている。
n-bunaは詳細までは話すつもりはないそうで、実際に名曲を組み換えて作った盗作か、はたまたオリジナルの名曲か、さながらバンクシー作品のような議論を遠巻きで見ている。
『盗作』ディスクレビュー
実質的な1曲目『昼鷺』と終幕を飾る『花に亡霊』を聴けば明らかだが、起点と終点では音楽性が全く違う。盗作男の破壊的な衝動がロックサウンドと相まって鋭さを増す前半、中盤のセンチメンタル香る『花人局』からは盗作男のペーソスな感情が次第に露わになっていく。
同じアルバムとは思えないほど、質感が異なっていて驚かされる。それなのに、一貫性を感じるのは”盗作男の物語”というコンセプトに則った構造が誰にでも分かりやすいためだろう。
そのコンセプトを練り上げ、音楽に落とし込み、小説も書いているコンポーザーのn-bunaのクリエイティビティも凄まじいが、負けず劣らずsuisの表現力も目を見張るものがある。
『春ひさぎ』では気怠さを感じさせる低音を響かせ、『夜行』では純真無垢で透き通るようなクリーントーンで歌いあげる。繊細さとぶっきらぼう。音域の広さと歌唱力の高さで盗作男の二面性を絶妙に表現している。
そして楽曲の美しさたるや。メロディーが綺麗で、あまりの儚さに涙が溢れそうになってしまう。音楽というフォーマットにおいてコード進行の美醜は最も大切だと改めて痛感させられた。
それと同時に『盗作』の持つ膨大な情報量に圧倒される。
大枠では音楽のみならず小説、カセットテープでのストーリーテリング。
曲単位では、例えば『春ひさぎ』だ。曲のテーマが売春のため、アダルトな香りがするジャズを土台にしている。
音楽の構造で伝える一面、その盗作された音が持つ情報や引用された意味合いの一面、歌詞での解釈、MVでの解釈…。挙げ連ねるとキリがないほどの圧倒的な情報がある。
情報過多なものは敬遠されてしまう現代社会で、これだけ濃密な作品は極めて異例ではないだろうか。
初回限定版に同梱されたカセットテープの演奏者は子ども?
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小説の中で少年が初めて弾く曲『月光ソナタ』は先ほど軽く述べたカセットテープとして登場する。
カセットテープに収録されている『月光ソナタ』を演奏しているのはn-buna自身でも、プロのピアニストでもない。楽曲がなんとか弾けるくらいの子どもを連れてきて、演奏してもらっているのだ。
プロではない拙さが、かえって『盗作』の世界にさらにリアリティをもたらす。こだわり抜かれた創作に思わず唸ってしまう。
そして物語は『創作』へ。CDのないCDをCDショップで売る
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『盗作』で描かれた物語はさらに繋がっていく。その次にリリースされたEPは『盗作』の対となるタイトルがつけられた『創作』だ。
収録された『春泥棒』は命を桜に喩えて歌われている。繊細で儚くも力強く、美しい。
MVは盗作家の妻の視点で描かれている。『夜行』(こちらはNetflixオリジナルアニメの映像だが『花に亡霊』も)のMVには花火が上がるシーンがあり、『春泥棒』にも花火が用いられているため、相互性が分かる。
『創作』には日本の風土色が色濃く表れている。元来、古語を使った奥ゆかしい歌詞がヨルシカの強みであったが、今作でもそれは健在。
今作では古語に加えて桜をモチーフにしていたり、尺八の音を使ったりと極めて日本的な作品に仕上げられ、日本人としてのオリジナリティを感じさせる。それは古典的な音やイメージを”盗作”したとも言えるし、日本人の伝統に乗っ取った”創作”とも言える。
『創作』は2種類の発売形態がある。”CDが入っている”Type Aと”CDが入っていない”Type Bだ。
どちらかが初回生産限定盤というわけでも、一部のデザインが異なるわけでもない。全く同じものでCDが入っているか、いないかの違いだ。彼らはそれをCDショップで売る。
Apple Musicがロスレス配信を始めるなど、サブスクが全盛期を迎えた今、改めて”CD”とは何たるかを問いかける、皮肉めいた作品である。
n-bunaはこの発売形態について下記のようにヨルシカ『創作』の特設サイトのインタビューで答えていた。
たとえば50年後くらい、実メディアの死に絶えた世界で「あの時代にはCDというものがあったなあ」と感慨に耽りながら、その写真を見返したい。その頃には、写真というものもオールドメディアになっているかもしれない。「CDというメディアが死にかけの時代に、実店舗でCDの入っていないCDを買う人たちの姿」はきっと美しいものになると思う。僕はその光景を写真に撮りたかった。だから「CDのないCD」というものを作りました。
装丁にこだわり、サブスクでは味わい切れない、モノとしての魅力溢れる『盗作』と、CDが無く、ただの”物”でしかない『創作』。
盗作家という一貫した物語を使い、対極とも言えるアートワークに仕上げたヨルシカの狡猾さと素晴らしさに翻弄される。
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