関ジャムの影響もあって、作詞家/プロデューサーとして広く知られているいしわたり淳治。
作詞家として20年以上のキャリアがあるが、元々はSUPER CARという4人組バンドのギタリストとして音楽業界に入った。
アーティストから、曲を作る裏方的な役割を担うようになった彼の活動を振り返りつつ、昨年発売されたばかりのエッセイを紹介する。
目次
バンド時代のいしわたり淳治。全く聴いたことがない新しい言葉で構築された音楽
デビュー当時のメンバーの年齢は全員19歳で早熟な彼らの音楽は大きな話題を集めた。
活動を続けていくなかで音楽性は大きく変化していった。
ボーカルの中村弘二はデヴィット・ボウイから影響を受けたそうだが、デヴィット・ボウイもアルバムによって、音楽性がかなり変化していくアーティストだったことも、彼らの遍歴に由来しているのかもしれない。
初期はギターロックをベースにした楽曲を展開。
カラッとしていてエッジの効いたサウンドは2021年になった今聴いても色褪せておらず、シビれる。
そのオルタナティブ精神はリリースを重ねていくとともに増していく。
炭酸が弾けるようにフレッシュさがキラキラと眩しいデビュー曲『cream soda』から2年後、企画アルバムとして2枚同時にリリースされた『OOYeah!!』『OOKeah!!』はとにかくノイジー。
どこか儚くも力強い作品になっている。
そしてバンドは次第にエレクトロポップに接近。
3rdアルバム『futarama』はその片鱗が垣間見える実験的なアルバムだったが、4thアルバム『HIGHVISION』で電気グルーヴのメンバーでもあった砂原良徳を迎え、その傾向はピークに達した。
作詞面でみると、後期にいくにつれて歌詞は抽象的になっていき、芸術性が高まっていることが感じられた。
言葉を音としてポイントに比重を置き、不思議な言語感覚で楽曲を彩る。
よく知っている言葉であるはずなのに、そこに出てくるのは全く聴いたことがない新しい言葉で構築された音楽だった。
昨日また僕が白い目で見た夢は
この広い空と君との話だよ。
『cream soda』
2愛+4愛+2愛+4愛-sunset+4愛+2愛+4愛+2愛‥‥‥‥
=true heart(真実!)
『STROBOLIGHTS』
バンドは2005年に解散。
活動歴は8年と比較的に短いながらも、後世のバンドに大きな影響を与えている。
それを強く感じられるのはBase Ball Bearではないだろうか。
男女ツインボーカルという編成に加え、ギターロックが根底にあるサウンド、カタカナと英語を混ぜたアルファベット表記のタイトルなど、super carに対するリスペクトが多く見受けられる。
代表作に『愛をこめて花束を』。バンド解散後、作詞家プロデューサーとしての活動をスタート
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スーパーカーが解散した後は作詞家、プロデュース業を本格的にスタートさせた。
プロデューサーとして最初の仕事はチャットモンチーのサウンドプロデュース。
その後は9mm Parabellum Bulletの『Vampire』、ねごとの『カロン』、NICO Touches the Wallsの『夏の大三角形』など挙げ連ねるとキリがないほどの数々の名曲をプロデュースしてきた。
作詞ではSuperflyの『愛をこめて花束を』が代表作に挙げられる。
誰もが分かる普遍的で温かいな歌詞は後期super carからは考えられないほどテイストが離れていて驚かされる。
直近ではドラマ『天国と地獄』の主題歌にもなっている手嶋葵『ただいま』の作詞も担当。
作詞、サウンドプロデュースのほかにもワーズプロデュースという形で活躍している。
0から作詞をするのではなく、アーティストが伝えたいメッセージに対して、培った技術を駆使してサポートするというものだ。
抽象的な歌詞から、メッセージ性の強いポップな歌詞まで、様々な角度から言葉を捉えてきたことに加えて、アーティストの魅力を最大限に引き出すプロデューサーとしても多くのアーティストとコミュニケーションを取り、名曲を生み出してきたいしわたり淳治だからこそ可能な仕事ではないだろうか。
求めている正解に近い答えが自分のなかではなく、アーティストのなかにある以上、0から作詞をするよりも実は難しいなのかもしれない。
『言葉にできない想いは本当にあるのか』感想。本と音楽の幸福な循環
2020年12月、いしわたり淳治は『言葉にできない想いは本当にあるのか』と題されたエッセイを出版した。
いしわたり淳治は、言葉を使って表現しているのはいつだって”感情の近似値”で、常に大なり小なり誤差を孕んでいるものではないかと述べている。
大袈裟な言葉を並べることで、熱量が伝わり説得力が増すという効果があるが、自身の感情とイコールかというとそうではない。
事務的な連絡ならば正確に言語化できてると言えるのかもしれないが、目には見えない感情を言語化しようとすると、言葉という道具は意外と不便な部分が多く、実は世界には言葉にできない想いで溢れていることに気づく。
道具であると同時に、新しく生まれたり別の意味を持ったり、滅んでいく生き物でもある言葉を中心に書かれたエッセイである。
朝日新聞デジタルで連載されている『いしわたり淳治のWORD HUNT』から抜粋、加筆したもので、「歌詞」「流行語」「テレビ」「広告」など、様々な分野から気になった118ものワードを独自の視点で、惹かれる理由を解き明かしていくというものだ。
一編一編がとても短く、四つ打ちロックさながらの疾走感とキャッチャーさを持っている。
ページを捲る手が止まらなくなってしまう。
一部を抜粋してざっくり紹介する。
宇多田ヒカルが2018年にリリースしたアルバム『初恋』に収録されている『嫉妬されるべき人生』について以下のように語っている。
「幸せ」と対極にありそうな「嫉妬」という言葉を用いて幸せの度合いを表現する人がどれだけいるだろう…(中略)…こんな表現の仕方があったのかと目からうろこが落ちた
一口に音楽といえど、プロの目線から見る音楽と、自分から見てる音楽が必ずしも全く同じとは限らない。
いしわたり淳治の言葉は非常に強く説得力を持っていて、読みながら頷いたり、笑ったり、誰かに教えたくなったり、いてもたってもいられなくなる。
こうして前向きな意見に出会うと改めて楽曲が聴きたくのも本書の魅力だ。
本を読んでいたはずなのに、音楽を聴きたくなり、また本に戻ってくるというちょっと変で、楽しくて、幸福な循環の渦中に立たせてくれる。
DA PUMPの『U.S.A.』について書かれた章もなかなか興味深い。
日本の音楽は傷ついた心の薬の役割を担うようになったとこの章では説明されている。
近年はあまりにも「あなたらしく」「あなたはオンリーワン」といった相手を全肯定することで傷ついた心を治そうとする、いわばどんな症状にも効く薬のような歌が増えてきて、それはちょっとどうなんだろうとも思う。
この現状は一般的な音楽リスナーと作詞家では感じることが大きく違うのだろうなと痛感させられる。
多くの人に響かせるということは、それだけ普遍的なものである必要がある。
売れるためには分かりやすい歌詞で書かれた、聴いていて嫌な気持ちにならない音楽が必然的に世に広まっていく。
しかし『U.S.A.』には薬効を狙った言葉はなく、聞き手を副作用なしで明るい気分にしてくれるといしわたり淳治は語っている。
音楽業界の抱えている違和感を伝えながら、今まで親しんでいた音楽の新しい楽しみ方を教えてくれる教科書のような側面もある。
藤井風について書かれている項目もグッときた。
岡山弁で書かれた『何なんw』の歌詞について以下のように綴っている。
「歌詞は自分の言葉で書かなくちゃいけない」なんてことを言う人がいるけれど、地方出身者にとって本当の意味で自分の言葉とは、方言なんだよなあ、というものすごく基本的なことに気づかされた。
まさに言う通りだ。
思えば方言で書かれた歌詞なんて言われてみればほとんど聴いた覚えがない。
パッと思いつくのはドリカムの『大阪ラバー』ぐらいだが、まるっきり全て関西弁というわけではない。
藤井風の音楽を聴いて「これだけお洒落なのに相反するような岡山弁がギャップで面白い」と思っていても、その先にある「その方言から人間性が垣間見える」まではなかなか思い至らず、なるほどなるほどと頷きながら貪るように読んでしまう。
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