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角田光代『八日目の蝉』
映画化もされた角田光代の小説。
実父の不倫相手だった誘拐犯に育てられ、その後保護された恵理菜が、自分の母親を名乗り逃避行していた希和子をさがしにいく。
実の母と育ての母、どちらも憎みきれず、さりとて愛しきることもできない恵理菜のダブルバインドが苦しい。
赤ん坊の自分を誘拐し、嘘の名前を教え、人生をめちゃくちゃにした偽の母親・希和子。
未だ彼女を許せぬ気持ちと断ち切れない憧憬が反発し合い、葛藤を生じる心理の掘り下げがすごい。
恵理菜もまた既婚者の子供を身ごもり、自分を産んだ母親と育てた母親、双方の気持ちを理解していく。
言葉にできない感情の縺れをときほぐす筆力は素晴らしく、間違っているとわかっていながら薫を手放せず、「この幸せがずっと続けばいいのに」と祈ってしまった希和子に同情心がわきあがる。
幼少時の体験のせいでアイデンティティに悩んでいた恵理菜が、再び希和子に会いに行く旅を通し、少女から女へ、女から母へと、まさしく土中に埋葬された八日目の蝉が羽化するようにメタモルフォーゼを遂げていくのに心打たれた。
まるで自分のルーツを知る巡礼の旅だ。
希和子が警察に捕まり、幼い薫と引き離されるシーンは、紛れもなく母親だからこその哀しみと愛情が詰まっていて、何度読んでも泣けるのである。
『八日目の蝉』原作小説あらすじと感想【誘拐犯が全てを捨ててでも欲しかったもの】『八日目の蝉』の基本情報 | |
出版社 | 中央公論新社 |
出版日 | 2011/01/22 |
受賞 | 第二回中央公論文芸賞受賞 |
ページ数 | 376ページ |
発行形態 | 単行本、文庫、電子書籍、オーディオブック |
乙一『失はれる物語』
1996年に『夏と花火と私の死体』で第6回ジャンプ小説大賞を受賞してデビューした乙一の小説。
切なさの達人と異名をとるだけあって、どれもじんわりしんみりいい話。
『手を握る泥棒の物語』はほぼアイディア勝ちとも言え、突飛な設定を生かしたエモーショナルなストーリーに脱帽する。
どれも泣けるのだが、中でも表題作は切なさ乱れ打ち。
交通事故で全身不随になり五感の全てを奪われた男が、唯一生きていた右腕の感覚を通してピアニストの妻と交流するのだが……。
妻を深く愛すればこそ、彼が下した究極の決断に胸が苦しくなる。
五感を奪われた絶対の孤独の中、唯一の救いとなっていた妻とのふれあい。
しかし片腕だけで何ができるのか?
妻は夫の右腕を鍵盤に見立て弾くことでその日の気分や感情を伝えてくるが、彼はそれに何も返せず、片腕だけ生きている現実がかえって妻を縛り付けてしまうと苦悩していた。
見えず聞こえず匂いもしない、絶対の暗闇に閉じ込められた彼の孤独がひしひし伝わってくる。
夫を懸命に介護し、けなげに思いを伝えんとする妻の姿も痛々しく胸が塞がれる。
もし自分が彼の立場だったら、妻の立場だったらどうするか考えてしまった。
希望と絶望は紙一重。
知覚が生き残っている、意識がまだある現実がかえって今生きている人間を不幸にするジレンマ。
この先何十年も自分に付き添わねばならない妻の本当の幸せを考え、己を犠牲にする道を選んだ夫がやるせない。
『失はれる物語』の基本情報 | |
出版社 | 角川書店 |
出版日 | 2006/06/24 |
ページ数 | 381ページ |
発行形態 | 単行本、文庫、電子書籍 |
新井素子『チグリスとユーフラテス』
1999年に第20回日本SF大賞を受賞した新井素子のSF小説。
地球人が移民先に選んだ惑星ナインは、文明が隆盛して繁栄を極めたものの、ある時から出生率が急激に低下し、人口減少の一途を辿って滅亡。
荒れ果てた惑星に最後の子供、ルナを残すのみとなった。
既に老婆になったルナは治療方法の確立されていない不治の病で冷凍睡眠についた女性たちを次々起こしていき、何故自分を産んだのか問いかけていく。
ルナに起こされた女性たちは、惑星ナインのはじまりから終わりに至る年代記を語り始める……。
惑星ナイン最後の子供として、気の遠くなるような歳月をひとりぼっちで過ごしてきたルナ。
見た目は老人でも心は幼稚な子供のまま。
数十年の孤独をただ耐え忍ぶしかなかった彼女が、母ならざる女性たちに自分の生まれた意味を突き詰める叫びが胸に刺さった。
ルナと対話する女性たちの反応は様々。
人類最後の子供であるルナを職務の延長の庇護対象と見る者もいれば、創作活動の邪魔だと無視する者もいる。
異なる人生観や死生観を持った彼女たちとの交流を通し、ルナはこの惑星最後の子供として自分が産まれ落ちた意味に手探りで近付いていく。
自分を最後の子供にした人類への復讐として、女性たちの冷凍睡眠を強制解除してきたルナが、惑星を拓いた母であるレイディ・アカリの心に触れ、命を育む喜びに目覚めるシーンが感動的だった。
『チグリスとユーフラテス』の基本情報 | |
出版社 | 集英社 |
出版日 | 2002/05/17 |
ジャンル | SF |
ページ数 | 480ページ |
発行形態 | 単行本、文庫 |
重松清『ビタミンF』
重松清の直木賞受賞作。
アラフォーの父親目線で家族関係を見直す短編が多い。
どれもじんわり良い話で目頭が熱くなるが、中でも『セッちゃん』は切なすぎてため息がでる。
小学生の娘は家に帰るとクラスでいじめられているセッちゃんの話をする。
両親は娘にもいじめが及ばないか、放置しておいてよいのか心配するのだが、実はセッちゃんの正体とは……。
子供の頃にいじめられた経験のある読者なら、誰しも娘の行動に共感せざるをえないのではないか。
いじめられているなんて恥ずかしい、親に話せない、いじめられている自分が悪い。
でも聞いてほしい、知ってほしい、わかってほしい。
自分では止められずいじめがエスカレートしていく中、知ってほしい願望と知ってほしくない葛藤が混じり合い、どうしようもない苦しみを肩代わりしてくれるセッちゃんを生み出したのだと思い至ると胸が苦しくて仕方ない。
彼女が両親の自慢のいい子であればある程、これしか伝える手段がなかったのだ。
両親が運動会で真実を知るシーンと、ラストの流し雛のシーンがとても印象に残っている。
『ビタミンF』の基本情報 | |
出版社 | 新潮社 |
出版日 | 2003/06/28 |
ジャンル | 家族 |
受賞 | 第124回直木賞受賞 |
ページ数 | 362ページ |
発行形態 | 単行本、文庫、電子書籍 |
菅浩江『永遠の森 博物館惑星』
全世界の芸術品を蒐集した衛星軌道上の巨大博物館、「アフロディーテ」。
そこではデータベースコンピュータに接続した博識の学芸員たちが、日夜仕事に追われていた。
詩情に富んだ美しい文章で紡がれる菅浩江のSF作品。
人類が宇宙に進出した遥か未来の話で、惑星まるごと博物館に改造し、あらゆる生物や芸術を収蔵している設定に胸が躍る。
収録作はどれもファンタジックな趣で素敵なのだが、それまで張り巡らされた伏線が綺麗に収斂し、博物館で起きたトラブルを巡る連作ミステリーがラブストーリーに昇華されるラストの『ラヴ・ソング』は涙が出た。
主人公の田代は芸術の価値を語彙や知識量ではかる傾向にあり、「よくわからないけど、とても綺麗ね」と妻が述べる感想を軽んじていた。
しかしこの話ではそんな自らの傲慢さを反省し、あるがままの美を受け入れて認める妻こそ正しかったと思い直す。
豊饒な美が孵るアフロディーテの幻想的な風景に、互いを尊重して同じ方向を見つめる珠玉の夫婦愛が調和し、しみじみと余韻が沁み渡る。
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『永遠の森』の基本情報 | |
出版社 | 早川書房 |
出版日 | 2000/07/01 |
ジャンル | SF |
ページ数 | 329ページ |
発行形態 | 単行本、文庫、電子書籍 |
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