人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲であり、この3つの欲求を抑えることはできないと言われている。
日常の生活において、「おなかがすいた!」や「眠い」という会話は、何の引っかかりもなく口にすることはできる。
しかし人間が抑えられない欲求にもかかわらず、性欲に関する会話はどこか後ろめたさを感じる。
あくまでも主観であるが、性的な会話(いわゆる下ネタ)というと、主に男性が話すというイメージが強い。
また性的なシーンがあるコンテンツもどこか男性が好むように描かれているコンテンツが多いと感じている。
男女関係なく、性欲があるにもかかわらずだ。
今回紹介する『娼年』は、娼夫となった主人公が仕事を通じて感じた、女性たちの性的な欲望を描いている。
女性が持つ多様な欲の奥深さは哲学的であり、男性の欲とは異なった官能の世界へ誘いたい。
こんな人におすすめ!
- 男性
- 石田衣良作品が好きな人
- 官能的だけど哲学的な文章が好きな人
- 松坂桃李さん主演映画を見た、もしくは気になる人
あらすじ・内容紹介
哲学が好きな大学生、森中領(もりなか りょう)(以下、リョウ)は、人生のすべてに退屈していた。
大学には行かず、バーテンダーとして働いていた。
ある日、中学の同級生でホストのシンジが、妙齢の女性、御堂静香(みどう しずか)を伴ってバーへやってくる。
そこでは多少のセックス談義をしたが、この日はシンジと静香は帰っていく。
ところが、数日後、バーに1人で現れた静香はリョウに言う。
わたしがあなたのセックスに値段をつけてあげる。リョウくんは自分の退屈なセックスの価値を知りたくない?
それは、ボーイズクラブLe Club Passionでの娼夫として働くことへのスカウトだった。
この日を境に、リョウは娼夫として、女性たちの欲望に向き合い、彼女たちの心に潜む欲望の不思議に魅入られていく。
『娼年』の感想・特徴(ネタバレなし)
女性たちの多様な性的欲望
美しい顔、厳しい顔、恐れや不安を隠せない顔。彼女たちの顔はいろいろだったが、欲望をむきだしにぼくのまえにあらわれた人はひとりもいなかった。誰もが自分のスタイルや物語を持っている。
初めて本書を読んだとき、ボーイズクラブで娼夫になったリョウと同じく、女性たちの多様な性的欲望に驚いた。
リョウの初めてのお客さんである30代のヒロミは、気に入った男の子とは1回目はデートだけで終え、2回目からベッドインするという。
彼女はデート相手を待つじれったさが好きなのだ。
弁護士事務所で秘書をしている23歳のマリコは、ボーイフレンドがいながら、くたびれた中年男性とコールボーイの3人でするセックスによって快感を得るという。
40代後半の外資系保険外交員のイツキは、プラトンの『イデア説』といった哲学的会話ができる男の子に、おしっこをしているところを見てもらうことで、エクスタシーを感じられるという。
ここに挙げたのは「女性たちの欲望」の一例であるが、バリエーションに富んでいると思わないだろうか。
彼女たちは最終的にリョウとベッドインしているが、セックスに至る過程までも合わせて楽しんでいる。
それは男性にはない、女性の特徴なのかもしれない。
退屈からの目覚め~性的欲望の秘密~
女性だけでなかった。大学も友人も家族も、世のなかすべてつまらない。
リョウは20才にして、人生に退屈していた。
14才で初体験を済ませてから、リョウにとって、女の子とのセックスは簡単に手に入るものだった。
それゆえ、Le Club Passionに入った頃のリョウは、オーナーの静香に全く評価されていなかった。
ところが、娼夫としての仕事をこなしていくうちに、リョウなりに娼夫の仕事をこう定義する。
女性ひとりひとりのなかに隠されている原型的な欲望を見つけ、それを心の影から実際の世界に引きだし実現する。それが娼夫の仕事だと考えるようになった
そして、女性たちの多様な欲望に触れていくうちに、リョウはこの欲望がどこから来ているのか、疑問を抱くようになる。
元々プラトンやソクラテスなどの哲学を好むリョウが、人間の性的欲求にかかわる不思議に取りつかれていったのは、自然な流れだったのかもしれない。
だからなのか、娼夫の仕事にやりがいも感じていた。
娼夫の仕事に出会うまで、退屈な人生を送っていたリョウだったが、女性たちの性的欲望に魅入られたことにより、退屈さが消えていくのが分かってくる。
その心境の変化は、読んでいて興味深いところである。
彼女たちの欲望が数式のように答えが決まっているのなら、リョウは娼夫の仕事に惹かれなかったかもしれないし、女性の性的欲望の奥深さを感じる。
娼夫という仕事へのやりがいと後ろめたさ
……自分の身体をおばさんたちに売っているんでしょう。お金のためでしょう。それって売春じゃない。リョウくん、汚いよ
これは、友人のメグミがリョウに投げた言葉だ。
リョウは娼夫の仕事にやりがいを感じる一方、世の中に公にできる仕事ではないと意識し始めていた。
メグミの言葉は手紙のように数日たってぼくの心に届いた。娼夫を辞めようと思ったわけではない。けれども、世のなかにエクスキューズできない仕事であることを、同時に意識するようになった。(中略)
ぼくは娼夫が友人たちに誇れる仕事とは思わない。新聞の社会面や警察の取り調べ室について考えないわけではない。
そう、彼らがしているビジネスは、犯罪と隣り合わせなのだ。
ビジネスとして成り立っている以上、ボーイズクラブに対し、需要と供給があるのだが、この商売は性が絡んでいるので、どうしても道徳的・倫理的問題を含んでしまう。
この問題に対し、本書は答えを出していないし、簡単に解決できる話ではないので述べないが、リョウも後ろめたさを感じているのは、間違いないだろう。
それは本書に限らず、このシリーズの最終巻に当たる『爽年』にも、このビジネスに対する後ろめたさが出てくる。
詳細を述べることはできないが、合わせて読んで感じてほしい。
まとめ
本書を読んだとき、女性の性欲について、哲学的に捉えた作品は初めてだと感じた。
しかも作者・石田衣良さんは男性である。
女性作家が書く女主人公の恋愛小説でも、欲望に忠実な女性は描かれていても、欲望の正体について書かれている本は、見たことがなかった。
女性である私にとっても、彼女たちの多様な欲望には驚いたが、果たしてこの欲望は新しい発見かというと、違うのかもしれない。
これだけの人間が生きていて、欲望の種類は無限にある。だけど、すべてはどこかで誰かが試したバリエーションにすぎない。リョウくんのお客が発明したわけではない。それでも今この瞬間に、誰もが自分だけの欲望を生きている。そういう意味では、欲望に古いも新しいもないのかもしれない。みなオリジナルの形で、その女性にしかないひとりきりのスタイルなのね。
これは静香のセリフだが、はっとさせられた。
女性たちの性的欲望は、自分の内に秘められていたものであって、小説を通じて、具体的に言い表してもらったのだと思ったからだ。
冒頭で述べた通り、男女関係なく、人間には三大欲求がある。
だから、古来より、女性も性的欲望を持ち合わせていたと言ってもおかしくないのだ。
街ですれ違う女性たちも、本書に描かれている女性たちのように、秘めた欲望を抱えているのかもしれない。
今回は小説を紹介したが、松坂桃李さん主演で舞台化、映画化もされている。
私は映画を見たことがあるが、小説と異なる官能の世界が表現され、また女性たちの心情が繊細に、時に大胆に描かれていたと思った。
小説と映画、両方を見ると、片方だけ見る時とは異なる感想を抱くかもしれない。
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