子どもの頃はどんなことでも新しいことへの挑戦だったはずだ。そして大人になっても新しいことにチャレンジすることが多かれ少なかれある。
そういった意味で人生とは「はじめて」の連続だ。
短編集『はじめての』は、そんな事実を思い出させてくれると同時に、そこで味わった痛みや優しさを読者に届けてくれる。
目次
こんな人におすすめ!
- 「はじめて」の経験で味わった痛みと優しさをもう一度かみしめてみたい人
- 直木賞作家4名の作品を1冊で楽しむという贅沢をしたい人
- 音楽と小説のコラボレーションを楽しみたい人
あらすじ・内容紹介
アンドロイドの「僕」は、自身の購入者であるMr.ナルセの生活の役に立とうと奮闘する。そして、とある出会いによって少しずつ変わり始める「僕」とナルセの関係。しかし2人には衝撃的な結末が待ち受けていて…。(島本理生『私だけの所有者』─はじめて人を好きになったときに読む物語)
家出をして海沿いの駅に降り立った主人公・海未(うみ)は、白いワンピースを着た幽霊と思わしき女の子と出会う。少しずつ親しくなっていくなかで、家出の理由を女の子に悟られた海未は自身の苦しい胸の内を語り始める。(辻村深月『ユーレイ』─はじめて家出したときに読む物語)
並行世界で起きたテロの容疑者として疑われ、身柄を保護される一人娘・夏帆(なつほ)。彼女を救うため、安永宗一(やすながそういち)は並行世界との境界へ向かう。しかし宗一はそこで愛する娘に隠された重大な秘密を知ることになる。(宮部みゆき『色違いのトランプ』─はじめて容疑者になったときに読む物語)
幼馴染の同級生・椎田(しいた)に4回目の告白を決意する由舞(ゆま)。告白を成功させるためにタイムトラベルを使い奔走する彼女だったが、とある不安が次第に大きくなっていく。(森絵都『ヒカリノタネ』─はじめて告白したときに読む物語)
『はじめての』の感想・特徴(ネタバレなし)
人を好きになることは「便利」になること?(島本理生『私だけの所有者』)
人を好きになるというのは、その人の役に立ちたいと思うことだ。
正確には「喜んでもらいたいと思うこと」というべきだろう。
そんな素朴なことを『私だけの所有者』は訴えていると思う。
Mr.ナルセに購入された主人公のアンドロイド・「僕」は、彼の生活の役に立とうとするが、その試みはうまくいかない。
原因はナルセにある。彼の性格や言動が「僕」を悩ませているのだ。
彼が何を望んでいるのかを理解して実行することが、僕にとっては唯一の存在意義であるはずなのに、肝心の所有者自身がそれを具体的には教えてくれなかったのです
そんな「僕」をさらに戸惑わせる存在が現れる。ナルセの弟夫婦が連れてきたアンドロイドのルイーズだ。
所有者から本当の娘のように扱われているルイーズと「僕」は価値観が違う。
「アンドロイドは所有者の命令に従って、彼らの物理的な役に立つことさえできればいいんだから」
そう言い終えると同時に、ルイーズが驚いたように言いました。私は違う、と
ルイーズはこう続ける。
人間がアンドロイドを必要とするのは、不可能を可能にするため。つまりは、生きていることの孤独から解放されるため
「僕」にとっての「役に立つ」は「便利」と同じ意味だ。一方でルイーズは、「便利」以上の広い意味での「役に立つ」という価値観をもっている。
ルイーズの価値観に触れることで「僕」は人間のようになっていく。このことの詳細は本書に譲ろう。
人間である私たち自身のことを考えてみても、人を好きになったとき、その人にとって「便利」でありたいと思う人は少ないだろう。「便利」である以上の意味で役に立ちたいと思うことが人を好きになることであり、人間っぽさなのかもしれない。
人を好きになることの本当の意味を本作は気づかせてくれる。
誰かを救うのは偶然の出会いとそっけない相槌(辻村深月『ユーレイ』)
はじめて経験するような重い悩みや苦しみでも、偶然の出会いや誰かの何でもない一言に救われることがある。
辻村深月の『ユーレイ』という作品の魅力は、その奇跡のような瞬間を描いた点にある。
このことを紹介するために注目したいのは、家出をした主人公の女子中学生・海未と幽霊と思わしき不思議な女の子との出会いだ。
家出の本当の目的を知った女の子は海未を止めようとする。
彼女が言った。静かに、はっきり。
「やめなよ」
瞬きもせずに、その目が真剣に、ろうそくの炎越しに私を見ていた。
そんな彼女に海未は苦しい胸の内を吐き出す。そしてこう言うのだ。
朝までは、そばにいてくれる?
女の子は海未の提案に頷く。
海未を助けたのは親しい人ではない。ついさっきまで無関係だった女の子だ。そんな子に海未は救われた。逆に、無関係であったからこそ家出をするほど思い悩んでいた海未を躊躇なく止めることが出来たのかもしれない。
この偶然の出会いも奇跡的な出来事だ。しかし本作の魅力はそのような出会いだけではない。
海未の悩みを聞いた女の子は「ふうん」と頷く。そんな相槌に海未は次のことを思う。
同じ学校ではないこの子には、それくらいの「ふうん」くらいのことなんだと思うと、胸が複雑に一度強く痛んで、だけど、同時になぜか、ほっとする
私たちは悩んでいることの答えを求めるとき、言葉を求めすぎてしまう。有名人や偉人たちの名言集を頼りたくなってしまう人もいるだろう。
しかし、綺麗な言葉や正しい主張だけではない、不意な一言に救われることもある。「ふうん」というそっけない相槌は、どんな言葉よりも力強く海未を救ったのだ。そんな奇跡ともいえる交流を味わうことができる。
大切なものを守るために父親と娘が負うそれぞれの「痛み」(宮部みゆき『色違いのトランプ』)
人にはそれぞれ守りたいものがある。
10代であれば、夢や理想や信念かもしれない。大人であれば、家族だという人も多いはずだ。
そして守るものがすれ違ったとき、そこには「痛み」が伴うのだと『色違いのトランプ』は教えてくれる。
このことを示すために本作の主人公・安永宗一と娘・夏穂の関係をみていきたい。
「十七歳と七カ月。ここ二年ほど、家のなかでは笑顔を見せたことがない。たいていは怒っているか、黙ってむくれている。
(…)
——いっつも呑気そうな顔しちゃって。
(…)
若くて健康的な毒舌と、小さな牙。
多感な年頃なんだ、思春期で情緒不安定になっているだけだ、親が余裕を失ってどうする、温かく見守ってやらねば」
宗一と夏帆の関係は、現実の家庭でも珍しいものではないと思う。そして夏帆の気持ちがわかる人も少なくないはずだ。筆者自身の経験からしても休日にダラダラしている父親の姿は、なんとも情けなく見えたものだ。
一方、宗一は「呑気そうな顔」という娘からの毒舌に対し「できるだけ穏やかな人生を渡ってゆくために、そんな顔が必要なこともある」と思っている。
「夏帆は俺の娘だ。命よりも大事な子供だ」と考えている宗一だからこそ、家族に苦労をさせないためには穏やかな人生を送ることが何より大切なのだ。
しかし、夏帆は「弱虫の事なかれ主義」と宗一を罵る。勇敢で正義感の強い夏帆には、宗一の日々の過ごし方が我慢ならないのだ。
自分の考えや信念を守りたい夏帆、家族を何よりも守りたい宗一、それぞれの守りたいことのすれ違いを通じて描かれているのが本作の「痛み」だ。この2人が迎えるほろ苦く切ない結末は是非、本書で確かめてほしい。
ちょっぴり変わった不屈の女子が挑む4回目の告白の行方は?(森絵都『ヒカリノタネ』)
主人公が魅力的な小説は、それだけで面白さが約束されていると思う。
だからこそ、ここでは『ヒカリノタネ』の面白さを伝えるために主人公の女子高生・坂下由舞を紹介したい。本作は由舞が同級生の椎田に告白するために奔走するというものだが、由舞は椎田に過去3回も告白し、3回ともフラれている。
このことは椎田への恋心がどれほど特別なものであったかを物語っていると同時に、4回目の告白を試みようとしている点で由舞のちょっと変わった性格を読者に教えてくれる。
その性格が由舞の魅力でもあるが、それは友人・ヒグチとの会話において更に際立つ。例えば、次のシーンは4回目の告白についてヒグチに相談する場面だ。
「どうもこうも、その調子じゃもうブレーキきかないでしょ。するしかないじゃん告白」
「え、四回目の? ヒグチ、正気?」
「正気じゃないのは三回フラれてもまだ燃えさかってるあんたのほうだって。頭を冷やすにはもう一回フラれるしかないよ(…)」
「それはそうだけど……」
色々とツッコミたくなる会話である。
「頭を冷やすにはもう一回フラれるしかない」というのは極論だろう。「それはそうだけど」と認める由舞にも「それはそうなの!?」とツッコみたくなってしまう。
そもそもフラれることが前提のまま話が進んでいるところに筆者は笑ってしまった。
改めて強調しておくと、本作は会話だけでなく、タイムトラベルを駆使した主人公・由舞の告白への考えや行動にも魅力があるのだ。
そんな由舞の恋の結末は、本書を手に取って確かめてもらいたい。
まとめ
最後に強調しておきたいのは、本作が大人気音楽ユニット・YOASOBIとのコラボレーションによって生まれたということだ。このコラボレーションの1つとして、島本理生『私だけの所有者』を原作とした楽曲「ミスター」がリリースされている。主人公「僕」の切ない心情を歌いあげた楽曲になっているので、読み終わったあとはぜひ聴いてもらいたい。
物語をつうじて音楽を楽しむ、あるいはその逆も成り立つ本作は、ここで紹介した魅力以外の角度からも楽しめる1冊となっていることは間違いない。
1冊で2通りの楽しみ方ができる試みも、多くの読者にとっては「はじめての」経験になることは間違いないだろう。
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