ビジネスマンでありながら、どこかプロ意識に欠けていた私。そんな自分に気づかせてくれたのは… ビジネス書とも自己啓発本とも遠くかけ離れた、大人気コミック『ザ・ファブル』(講談社)でした。
物語の主人公はどんな敵も鮮やかに葬り去る“殺しの天才”、通称ファブル。
はじめこそ人が次々殺されていく“殺し屋らしい描写”から始まりますが、ボスからの“ある指令”により状況が一変します。
その指令とは、誰も殺さずフツーに暮らすこと―。
ボスからありったけの金と居住地、そして佐藤明という仮の名前を与えられたファブルは、“殺してはいけない殺し屋”として新しい生活を送ることに。
とはいえ平穏に暮らそうにも、(歩く死神と呼ばれる某名探偵の如く)次から次へと厄介事が舞い込んでくるのが物語のセオリー。
その際に垣間見える常軌を逸した戦闘力もめちゃくちゃカッコいい… むしろ男として憧れるレベルですが、何より私の心を掴んだのが“ファブルのプロ意識”です。
時に人は力があれば、その力を存分に発揮したくなるもの。
仮に私がファブル並みの強さを持っていたら、これ見よがしに悪を薙ぎ払い、女子からキャーキャー言われるような人生を目論んでいたことでしょう。
しかしファブルの場合、たとえ相手が自分より格下であっても「すいません… ゆるくしてください…」と許しを請います(その前にさりげなく相手を骨折させたりはしてますが)。
なぜならボスからフツーに暮らすよう命じられているため。
さてこの状況、働く自分と通ずるものを感じませんか?
クライアントから無茶な要求をされようと、他人のしわ寄せが自分に降りかかろうと、自分の感情を押し殺しながら業務に励んでいく日々。
全ては仕事のため、会社のため、お金を稼ぐため。
私はそんな自分の姿が、ふと脳裏をよぎりました。
ただ私と決定的に違うのは、ファブルは“プロとして”楽しんでいるところ。
格下の相手に「それでも男かよ」と馬鹿にされても、
素晴らしい―
やっぱりプロやな俺―
と弱者を演じた自分を自画自賛。
ファブルは“何クソ”と思うどころか、“これぞプロ!”とその状況を楽しんでしまうのです。
それに比べて私はたとえ表に出さなくても、その裏にはつらい、辞めたい、あんぽんたん、クソくらえ!! といった負の感情だらけ。
つらいことを嘆くばかりで、ファブルのように楽しもうともせずに。
そもそもファブルは殺し屋としての十分な実力があるため、心に余裕があります。
だからこそ“どうしたらこの場が収まるのか”を即座に分析することができ、その通りに事が進んで“楽しい”と思えるわけです。
つまり私もプロになればいい―。
どんな逆境が押し寄せようと、突破口を即座に見出し、最後に思ってやればいい―。
やっぱりプロだな俺、と―。
今までそう思えなかった自分はまだまだ甘ちゃんな証拠―。
私もファブルの兄貴に習い、本当のプロを目指して、今日も仕事と向かい合っていく―。
この記事を読んだあなたにおすすめ!







書き手にコメントを届ける