あなたには同人経験があるだろうか?
コミケへ行くとわかるが、世の中には版権の二次創作を量産している同人絵描きや字書きがたくさんいる。
彼らの創作スタイルは一次創作者と似て非なるものだ。
今回は漫画『私のジャンルに「神」がいます』から、両者の違いを考察していきたい。
自作を読み込む一次創作、原作を読みこむ二次創作
本作に登場する同人女はBL字書きだ。
BL字書きとは、版権作品内の男性キャラクター同士の恋愛を妄想・捏造して小説を書く腐女子の総称。
もちろん現実のキャラ同士に恋愛感情はない(あったら困る)。
他にも男性キャラの相手役として自らを投影したオリジナルキャラクターを出す夢女子や、版権キャラに本気で惚れて「結婚したい……」と願望するガチ恋勢がいるのだが、ややこしくなるのでひとまずおいとく。
一次創作では自分が神である。
『私のジャンルに「神」がいます』改め、『私がジャンルの「神」なのです』。
彼女たちが読み込むのは何よりまず自分の一次創作だ。
プロットだって一から組まなきゃいけないし、長編の連載ともなれば過去の話と食い違いが出ないように尚更よく読み返さねばなるまい。
長編の執筆にあたる場合、二次創作者もプロットを組んだり過去作を読み込む必要が生じるものの、忘れちゃならない大前提として彼女たちが重視するのは原作。
二次創作は既存の版権からキャラクターや世界観を借りている為に、自分の過去作とのズレにも増して、原作との齟齬や解釈違いが最大の萎え要素なのだ。
公式発表されている好きな食べ物や誕生日を間違えようものなら、「原作への愛が感じられない、けしからん!」と、熱狂的なファンにお叱りを受けるのは必至。
なまじ原作という正解が用意されているだけに、間違いは許されない。
創作の下地を作るのは大事だけれど……二次創作で最重視されるのは「萌え」
旬ジャンルを渡り歩き、行く先々で「神」と崇められる綾城。
そんな彼女は古今東西、膨大な量の小説や映画を嗜んでいる。
マシュマロにておすすめ本を聞かれた綾城が、影響を受けた作品を長文で紹介するエピソードがある。
これに対し「孤高の神字書き綾城がただの自分語り好きな同人女で萎えた」と批判もでたが、人間自分の好きな分野に饒舌になるのは仕方ない。
神の自分語りは信者に求められるだろうし大いに結構。
しかし、あらかじめ創作の肥やしにする目的でキャパシティをこえる小説や映画を見まくったところで、二次創作の面白さに繋がるとは限らない。
二次創作で重視されるのは萌え>>面白さ>>>上手さだ。
ここでの「萌え」「面白さ」とは、いかに原作のキャラクター「らしさ」を出せているか、原作の空気感や関係性を表現できているかで、向上心に駆り立てられて半ば義務として映画や小説をあさっても本質には結び付かない。
もちろん文章力を磨いたりプロットの組み立て方の勉強にはなるが、二次創作の魅力は原作に立脚している為、そこを蔑ろにして他の作品を土台にしても成功は難しい。
優れた物、バズる物を書きたい打算から他人の創作物を消化する考え方はナンセンス。
自分が好きなもの、気になるものを積極的に吸収していってこそ、内に取り入れた面白さが生きるのではないか。
一次創作は自分こそ唯一神、二次創作は神の上に神がいる
一次創作は自分の好きにしていい。なにせ自分の作品だ。
ところが、二次創作だと少々事情が変わってくる。
重ねて強調したいが、二次創作は原作から借り物したキャラクターと設定、世界観で成り立っている。
中には世界観がかけ離れすぎたパロディも存在するが、大半は原作をなぞっていると考えていい。
二次創作には「嫌われ」と言われるジャンルがあり、特定キャラクターに不憫な扱いをしたり、わざと貶めるような書き方をするのが特徴だ。
「嫌われ」は賛否両論のジャンルで、目に入れるのも嫌だと主張する読者が多い。
また、原作完結済みの版権で既にカップル成立していたり、あるいは結婚しているキャラクターを引き離し、別のキャラと添わせる二次作品も快く見られてない。
二次創作とは「こうなったらいいな」「こうだったらいいな」を叶える願望昇華装置な為、需要がある限りどんなカップリングやアレンジも許されはするが、その改変がキャラクターの本質や原作のテーマを脅かすほど強引なものになっていたら、公式を絶対視するファンは不快感を示す。
一次創作は自分こそ唯一神だが、二次創作は神の上に神がいる。
移動先のジャンルで神扱いされている綾城にしても、原作へのリスペクトなくして素晴らしい作品は書けないのであった。
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