1匹の犬が、何かを探すような眼差しで立っている。
その視線の先にあるものが何なのか、全てを読み終えたときにその答えをあなたは知る。
直木賞受賞作ということもあり、書店にずらっと並ぶ本作を目にした人は多いだろう。
表紙の犬の佇まいに、犬が好きな人なら、それだけで手に取ってしまいそうになるのではないだろうか。
犬好き以外にも、この物語を手にしてほしい人達がいる。
それは東日本大震災をはじめ、ありとあらゆる場所で起きた自然災害による被害を受けた被災者の方々だ。
この物語には、被災者となった人々が登場する。
たとえ報道されることが少なくなろうとも、当事者であった人々の生活は続き、今も何かを抱えながら生きている。
どうか、1人でも多くの人にこの小説と出会ってほしい。
そして、この物語の放つ光に出会ってほしい。
心からそれを願ってやまない。
こんな人におすすめ!
- 犬を大切に思う人
- 心が揺さぶられるような物語に出会いたい人
- 震災や自然災害による苦しみを抱えている人
あらすじ・内容紹介
『少年と犬』は、6篇の物語からなる短編集だ。
舞台は東日本大震災から半年後の仙台。
まだ震災の爪痕の残る街のコンビニエンスストアで、中垣正和(なかがき かずまさ)は1匹の痩せた犬と出会う。
革の首輪には「多聞(たもん)」と刻まれており、どうやらシェパードの雑種のようだった。
震災で仕事を失った和正は、収入を得るために犯罪に手を染めていた。
この「男と犬」から、物語スタートする。
和正には認知症の母と、その母の世話をしている姉がいた。
以前飼っていた犬の名前なのか、母は犬を「カイト」と呼び、カイトとの時間を楽しみ、ひとときの安らぎを得るようになる。
仕事に多聞を連れていくと仕事がうまくいくことから、和正にとって多聞は「守り神」のような存在となった。
絆を深めていく1人と1匹だったが、和正にはある確信があった。
多聞が、南の方角に引き寄せられているように見えたのだ。
やがて和正は、家族のために更なる罪へと手を伸ばしてしまう。
盗みを生業とする外国人窃盗団の男、互いに向き合うことのできない夫婦、男のために風俗嬢となった女、妻と相棒の犬を失い孤独な生活を送る老人。
さまざまな人生に寄り添いながら、多聞は南を目指していく。
新潟から富山、滋賀から島根。
そして最後に、表題作でもある「少年と犬」の舞台である熊本へとたどり着く。
『少年と犬』の感想・特徴(ネタバレなし)
犬への愛情と尊敬の念
この物語の素晴らしさは、多聞という存在をあくまで1匹の犬として描ききったところにある。
人々は多聞の振る舞いや行動、その表情に「何か」を感じ取るものの、決して多聞の内面を描くようなことはしない。
あくまで、周囲の人間がその思いを嗅ぎ取るだけだ。
犬という存在を、かけがえのないパートナーとしてきた著者だからこそ、その誠実さゆえなのだろう。
動物を出す時点で「ずるい」と思わなくもないが、安易に泣かせるようなことはせず、敬意をもって1匹の犬とその決意を描ききったことに拍手喝采したい。
最終章の「少年と犬」に、次のようなやり取りがある。
「多聞は神様からの贈り物ね」
久子が言った。「おれたちにとっての天使だな」
かつて犬とともに暮らしたことのある人なら、この気持ちがよくわかるだろう。
『少年と犬』という作品を通して感じるのは、犬への強い愛情と尊敬の念だ。
犬という存在に助けられ、様々なものを与えられてきたからこそ、このような物語を紡ぎ出せるのではないだろうか。
多聞の見つめる先にあるもの
作中で多聞とすれ違った飼い主の誰もが、多聞が南(西南)の方角へと行こうとしていることが繰り返し描写されている。
和正は気づいた。多聞が進もうとしているのは南だ。
「おい。南になにかあるのか? 前の飼い主がいるとか、おまえが昔住んでたところとか……」
いつの頃からか、クリントが常に西の方に顔を向けるのに気づいた。正確には西南の方角だ。西の方になにかあるの?ー何度かクリントに訊ねたが、当然、答えは返ってこない。
多聞の見つめる先に何があるのか、それを読者が知るのは最終章の「少年と犬」だ。
多聞が南に向かうことを願ったように、多聞と関わった人々もまた、1匹の犬が南へと進めるよう精一杯心を砕く。
1匹の犬が、仙台から熊本まで行くという果てしない旅路を無事に終えることができたのは、間違いなく多聞と関わった人々のおかげだろう。
彼らや彼女達は、決して人生が上手くいっているわけではない。
貧困をはじめとして、それぞれの理由で人生の袋小路にいるような人物ばかりだ。
それでも彼らは多聞のおかげで孤独が慰められ、その空白をうめてもらうことができたのだろう。
彼らが多聞に助けられたように、多聞もまた彼らに助けられたのだと信じてやまない。
震災を風化させないという強い思い
「男と犬」が東日本大震災の半年後の仙台であり、ラストを飾る「少年と犬」は震災に遭い熊本へと流れてきた家族の物語だ。
そこに、筆者の強い思いを見る。
東日本大震災に限らず、熊本地震や西日本豪雨、そして近年の台風による各地での水害被害に、絶え間なく起きる地震。
当人であれ、周囲の人間であれ、「被災者である」ことと誰もが無縁ではいられない。
自然災害が発生したとき、その直後は何かと報道されるものの、時とともにそれは少なくなり、人々の関心は薄れていく。
だかしかし、当事者にとってはずっと「続いている」のだ。
それぞれの立場での悲しみや苦しみを抱え、今この瞬間も何かに困り途方に暮れている。
誰もが次の人生を歩めるわけではなく、ある地点から人生が根こそぎ滑り落ちてしまったように感じる人々もいるだろう。
決して「風化させない」という筆者の思いを強く感じ、この胸に受け止めた。
被災者となってしまった人や、あるいは大切なものを失う苦しみがよくわかる辛い経験をされた人にこそ、どうかこの物語と出会ってほしい。
かくいう私もその1人なのだが、最終章で目にした眩しい光を、この先もずっと忘れずに生きていきたいと願った。
まとめ
犬に限った話ではないが、「生き物が登場する」たぐいの話はどうにも苦手だ。とくに犬や猫や、生き物全般が好きな人間ほどそうだろう。
悲劇的な結末を想像してしまい、読む前から辛くなってしまう。
ところが、この『少年と犬』は少々趣が違った。
犬と関わった様々な人々の人生の悲哀とともに、その体温や体臭までがまざまざとよみがえる。
彼らや彼女の生きざまや、やむを得ず選ばざるを得なかった道のその先で、望むと望まざるに限らず、ひたひたと押し寄せる現実の過酷さが迫ってくる。
人は愚かでどうしようもなく、ときに「そちらには行くな」という方向に突き進んでしまうこともあるが、この物語には「生きた人間」への眼差しが強く感じられた。
また表題作である「少年と犬」には、何かとても清らかでうつくしく、どんな逆境のなかでも「生きる」ことを諦めない強さを感じた。
たとえ不遇な出来事に巡りあったとしても、行きたい方角を目指して一筋に進んでいく多聞の姿に、まるで再生そのもののようなものを感じた。
思いもがけない出来事に見舞われときに、そのなかでどう生きようとするか。
その答えがこの物語にはあり、現在の私達にとても必要なことであるように思えてならない。
「震災を描いた作品は売れない」と言われるが、この作品が直木賞を受賞し、現在もなお売れつづけていることが誇らしくてならない。
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