4枚の絵が繋ぐ不思議で、少し不気味な物語。
イデアとメタファーが意味するものを探しに行こう。
こんな人におすすめ!
- とにかく長い物語が読みたい人
- とにかく村上春樹の作品が読みたい人
- 不思議かつちょっと不気味な物語が読みたい人
あらすじ・内容紹介
36歳の絵描きの私は、ある日突然妻に離婚を切り出される。
理由もよく分からないまま家を出、東北の旅へと出た私は、車の故障で東京へ帰ることを余儀なくされる。
帰る家もないので、美大時代からの唯一の友人、雨田政彦(あまだ まさひこ)を頼り、彼の父親で日本画の巨匠、雨田具彦(あまだ ともひこ)の別荘兼アトリエとして使っていた山奥の家へと腰を落ち着ける。
平穏な日々が続くかと思っていたある日、一本の電話が、それがすべての始まりだった。
電話の相手は私の絵のエージェントからで、断っていた肖像画の仕事の依頼だった。
法外な額の依頼に私は一度は断ったものの、結局はその仕事を受けてしまう。
私の家にやって来たのは免色渉(めんしき わたる)という白髪のハンサムな中年男性だった。
免色の肖像画を描いていくうちに、私の身の回りで奇妙なことが起き始める。
真夜中に鳴り響く鈴の音、屋根裏で見つけた不思議な絵、免色が依頼する少女の肖像画、イデア、メタファーという存在、雨田具彦が体験したウィーンでの事件。
私が行き着いた先に見たものはなんだったのか……。
村上文学の真骨頂!
『騎士団長殺し』の感想・特徴(ネタバレなし)
削ぎとされた感情
不思議な読み心地だと、読み始めてすぐに感じた。
なぜなら、だれも感情を爆発させないからだ。
例えば、絵描きの「私」が妻に離婚を切り出されるシーン。
「とても悪いと思うけれど、あなたとは一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」
と、妻に言われるだが、「私」は怒るわけでもなく、泣くのでもなく、取った行動がこれ。
彼女のその通告を受けて最初にとった行為は、窓に顔を向け、
雨の降り具合を確認することだった。
まったく「私」の感情が読めない、分からない。
この後も多少「傷ついた」という言葉があるものの、実際の「私」の感情はついぞ分からないまま読了してしまった。
読み終えてふと考えてみれば、この物語に感情をむき出しにする人はまったく登場しない。
語気を荒げたり、怒鳴ったり、ましてや暴力を振るったりする人もいない。
終始、静かな川の流れのように物語は進んでいく。
だからちょっと不気味なのだ。
みながみな、冷静でどこか人生を達観しているような人ばかりが出現して、そしてみんな、生きていることにあまり執着しているように見えない。
食事のシーンは何度も登場するし、お酒を呑む場面だってある。
だから、本当の意味で生きていることに執着していないわけではないだろうし、きちんと登場人物たちは生きている、生活している。
けれど、そう感じてしまうのはむき出しの感情がまったくと言っていいほど出てこないせいで「この人たち本当に生きているんだろうか?」と思えてくるからだ。
人間には喜怒哀楽があって、日々、笑ったり、怒ったり、感情表現によって豊かな人生を獲得していると言ってもいい。
だって、無感情な人にだれが興味を持てよう。
だからこそ、削ぎ落された感情の扱い方が、村上春樹氏はとても上手いのだ。
豊かな感情表現がないからといって物語が無味乾燥になっていないし、文章が読みにくいわけでもない。
むしろ、感情だけでは現すことのできないディテールに重きを置いているのだろう。
例えば、章の名前はすべてその章に登場するセリフでできている。
不思議なセリフが多く、その章をそのセリフで語っていると言ってもいい。
村上春樹氏の心憎い演出に、酔いしれて読んでほしい。
不思議な筋立て
基本的にこの物語は、「私」の手記のような形をとっている。
起きたことを並べて書いており、過去をさかのぼる形で進んでいく。
妻から離婚を切り出され、あてもなく東北を旅し、雨田具彦の別荘へ腰を落ち着け、肖像画の依頼があり……と物語はスムーズに進むかと思いきや、割と脱線する。
妻・柚(ゆず)との思い出、柚の父親に結婚を反対されたこと、小さい頃に亡くなった妹・小径(こみち)のこと。
東北の旅で突如一夜だけの関係を結んでしまった名前も知らない女性と、その翌日にファミレスで自分を睨んできた白いスバル・フォレスターの男。
時系列で語っていきつつも、途中途中でまるで小話のように脇道に逸れるのはいったい何の意味があるのか。
この物語、割と平面的なのだ。
時系列の通りに進めていくと、どこかのっぺりとしたイメージを持つかもしれない。
会話文だってあるし、季節を進んでいくし、登場人物たちは動いているし、だけれど、どこか紙面の出来事として単純に読み進めてしまう。
平面的に感じる要因の1つに、主人公の「私」の独白が多いというのもある。
「私」に肖像画を依頼してくる免色の様子も、「私」が描くことになる少女の様子も、「私」の独白ですべて完了してしまっているので、人物としてなかなか形作られてこないのだ。
一人称の物語だから仕方がないのだけれど、こののっぺりとした印象を変えてくれるのが、「私」が脱線することにある。
「私」が過去を振り返ることで、物語全体に厚みがでる。
「ここの振り返りって必要?」と思うかもしれないが、不思議な筋立ての理由はそこにあったのだ。
脱線で厚みと想像を膨らませることで、読者の中の物語を平面から立体にしていく。
行ったり来たり、時系列の自由さがこの物語の主軸であり、小説の技術が光る部分でもあるのだ。
イデアとメタファー
「イデア」と「メタファー」。
あまり聞き慣れない言葉である。
「イデア」とは「感覚を超えた理性だけで認識できる、時空を超えた永遠不滅の実在」とのこと。
哲学用語なので、なかなか理解するのは難しそう。
「メタファー」はもしかしたら聞いたことがあるかもしれない。
「メタファー」とは「隠喩」のことである。
「隠喩」とは「~のようである」などの言葉を用いないで表す語法のこと。
おそらく現代文などで勉強すると思う。
この言葉がどうこの物語に影響を及ぼすのか。
ネタバレになってしまうのであまり詳しくは書けないが、意味は分かっていなくても読み進めることはできるので安心してほしい。
特に「イデア」は最重要キーワードで、この存在が物語を左右すると言ってもいい。
しかも読み終わってみると、イデアの「時空を超えた永遠不滅の実在」という説明がなんとなく分かってくるから不思議だ。
雲を掴むような物語、空を掴むような読み心地かもしれない。
これはファンタジーなのか?それともある種のミステリなのか。
「イデア」と「メタファー」の存在が、不思議で、奇妙で、より物語を複雑化しているように感じる。
ただ、それ以上に確実にこの2つが物語をおもしろくしている。
最初はなんのことか、まったく分からないと思う。
私も混乱しながら読み進めた。
でもこの核となる2つの言葉が深みを持たせ、読者を未知の領域へと連れて行ってくれる。
「あたしは霊であらない。あたしはただのイデアだ」
さて、イデアとはこの本の何にあたり、メタファーとなっているものはなんのか。
村上春樹氏がこの物語に込めたものはきっと、2つの言葉に集約されていると思うのだ。
だからこそ、タイトルもまた秀逸過ぎて感動してしまう。
まとめ
この本を読んでいると、ときどき登場人物たちがうらやましくなってくる。
何が起ころうとも泰然自若としているところ。
そして、現実と丁寧に向き合っているところ。
私は少しでも礼儀正しく現実の世界に向き合おうと努めた
「私」の環境に対する順応性、免色の自分に持っていない才能に自信を持っているところもなんだかすごく、うらやましくなった。
ふと、最後に、この人たちは自分に持ってないものをたくさん持っていることに気づいた。
現実ではありえないことばかり起きる物語だったけれど、登場人物たちの息遣いがリアルに書かれている物語だった。
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