人はとてもか弱い存在だ。
挫折したとき、立ち直れないほど絶望したとき、自分の力ではどうしようもないとき。
誰もが一度くらいは、受験や恋愛の告白と言った類のお願いを神頼みしたことがあるのではないだろうか。
宗教は人を救うことがあると同時に、人を支配し、暴化させて凶器と化す諸刃の剣のようなもの。
日本はあまり宗教が生活に深く入り込んでいるわけではないし、大多数の人は行事ごとや節目に接する程度だ。
しかし、深く信じた者にとっては生活のすべてと化してしまい、それを人は洗脳と呼ぶ。
この物語に出てくる一家は、ある宗教に深く心酔しており、生活すべてが宗教によって支配されている。
こんな人におすすめ!
- 人生について考えている
- 今何かに追い込まれている
- 家族との関係がうまくいっていない
- 行き詰っていて、なにかにすがりたい
あらすじ・内容紹介
主人公の林ちひろは生まれつき病弱。
両親は様々な方法を探しては、ちひろの健康を願っていた。
しかし、まったく良くなる兆しすら見えない暗闇のような日々がすぎていく。
そんなある日のこと、父親の同僚・落合(おちあい)にすすめられた『金星のめぐみ』と呼ばれる水をちひろに使ってみると、今までの不調が嘘だったかのように消えてしまい、ちひろは元気になっていく。
林家はこうして幸せになり、落合夫妻から様々なものをすすめられては試し、だんだんのめりこんでいく。
読んでいて、「これは新興宗教だ」と気付くけれど、それは外側から見た姿。
もし、ちひろ一家の立場なら、これは幸せいっぱいの世界。
このズレを持ったまま話は進んでいくのだ。
ちひろの目に映る世界は幸せそのものであっても、読んでいるわたしたちはすぐに気が付く。
ちひろ一家は、普通の家庭とは違うのだと。
物語は、ちひろの目を通して紡がれていくのだ。
『星の子』の感想・特徴(ネタバレなし)
「水を替えたら良くなる」なんてあるのか?
序盤から不穏な空気で始まるこの作品。
生まれたばかりのちひろの体調不良と夜泣きで、両親が疲れ果てている様子が何とも言えず胸が痛くなる。
疲れ果てた父が会社でポロっと悩みを言ってしまったとしても責められまい。
父は生まれてまもない我が子について抱える悩みを、会社でぽろっと口にした。
たまたま父の話をきいたその人は、それは水が悪いのです、といった。
は?水ですか?
水です
この時点で、怪しい匂いがぷんぷんするものだが、弱っている人には判断能力などない。
「とにかく少しでも良くなる可能性があるのなら」とすがる姿は、ガンなどの病気で胡散臭い民間療法を試す人と同じで、周りの人たちには滑稽に見えるだろう。
けれど、本人はいたって真剣なのだから、これほど危うい状態はない。
誰しもこういった危うい状況になる瞬間が、人生のどこかにあるものだ。
そのとき、あなたは「自分は大丈夫だ」と言い切れる自信はあるだろうか?
洗脳なのか?本当なのか?
同僚である落合にすすめられた『金星のめぐみ』と呼ばれる水を使い、実際にちひろの体調不良が嘘のようによくなったのを目の当たりにした両親。
実際に良くなったとなれば、信じてしまうだろう。
「この水は奇跡の水だ」と信じてもおかしくない。
そして、両親はこの水に頼るようになり、周りの人にも勧めていく。
「この水を使えば、体にもいいわよ」と。
しかし、ちひろの親戚はすぐに「これは怪しいものだ」と読者と同じように気付き、止めようとするが後の祭り。
それ、公園の水道の水ですよ。
何言ってるの雄ちゃん・・・おもしろいこというなあ
いったでしょ雄ちゃん、これはね時別な儀式で清められたお水でね。
入れ替えたんだ、あそこの段ボールに入ってるぶん、全部
そう、親戚は水をすべて入れ替えたのち、しばらく様子をうかがっていたのだ。
相変わらず有難がって使っている水が、実は水道水だ、あんな水になんて効果はないからすぐに止めろと言いたかったのだ。
しかし結果は、自分たちの信じていた水が嘘だと指摘されて激昂したのだ。
両親とちひろが。
こうなると、もう手の付けようがない。
こうして、新興宗教や怪しい何かにすっかり洗脳された人はますます社会から孤立していくのだ。
答えはどこにあるのか
ちひろは両親と一緒に宗教団体の旅行に参加する。
その旅行では、「宣誓の時間」と呼ばれるものがある。
当たりを引くことは名誉なことで、当たった人はひとりずつ壇上のマイクの前で「宣誓」をするのだ。
・・・ぼくは、僕の好きな人が信じるものを一緒に信じたいです。
・・・それがまだどんなものか全然わからないけど、ここにくればわかるっていうんなら、俺来年もここに来ます。
わかるまでおれはここにくることを、俺の好きな人に約束します
家族だけでなく、恋人や友達まで巻き込んでいく得体の知れないもの。
「何かを信じている人は強い」と言うが、ここまでして信じた先にあるのはいったい何なのだろう。
信じた人にとっては救いかもしれないが、ここまでくると周りに呪いをまき散らしているようにしか思えないのだ。
まとめ
得体の知れない宗教に少しずつ侵されていく一家を描いたこの物語を、他人事だとあなたは笑えるだろうか。
今は「大丈夫だ」と思っていても、弱ったときにスルリと忍び込んでくる甘い誘いをはねのけられるほど人は強くないことだけは覚えていてほしい。
次は、あなたの番かもしれないのだから・・・。
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