森鴎外おすすめ作品10選【明治のエリートが築いた近代文学の巨塔】

小説家、翻訳家、批評家、政治家、軍医とマルチな才能を発揮して大正、明治時代に活躍したスーパーマン作家・森鴎外。

自身に身近な出来事をテーマにした作品や、思想色の濃い作品、戯曲、教養的な内容の作品を多く残した。

鷗外の作品群の中から、おすすめの作品10選をご紹介する。

森鴎外『舞姫』

1890年に『国民之友』に発表された短編小説。

歴史の教科書にも掲載されるほど鷗外の代表的な作品であり、どんな方も一度は耳にしたことがあるだろう。

物語は主人公の「太田豊太郎」の恋物語であり、非常にロマンティックな内容になっている。

また今作品でヒロインとして登場するドイツ人女性「エリス」には実際のモデルが存在すると言われている。

主人公の豊太郎は鷗外がモデルになっているという説もあることから、本作は鷗外の自伝的内容とも言える作品だ。

鷗外が留学先のドイツから帰国した後、鷗外の後をおって来日しているドイツ人女性と一ヶ月ほどで別れていることを鑑みると、やはり実体験を色濃く反映させた作品と言わざるを得ないだろう。

一度も森鴎外を読んだことのない方にまずオススメしたい作品である。

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』

1909年に発表された森鴎外の小説。

タイトルはラテン語で「ヴィタ・セクスアリス」と読む。

直訳すると性的な人生、あるいは性的生活である。

当然タイトル通り、内容は性的なものになっており、鷗外作品の中では異色を放っている作品だ。

物語のあらすじは、哲学を生業としている主人公の「金井湛(かない しずか)」が高校を卒業する長男に自分の性的体験を語っていく、というもの。

また段落ごとに、「六つの時であった」、「七つになった」、「十になった」、と短い段落のなかで時系列に沿って豊太郎の体験が語られていくので、テンポよく読んでいける。

ちなみに文中の随所に英語や、ドイツ語も頻出するので、ドイツ語を学ばれていたり、興味を持たれている方にもオススメである。

森鴎外『雁』

1911年から13年まで、文芸雑誌『スバル』に連載された森鴎外の小説。

近年では1993年にテレビ東京系でドラマ化されている。

不運にも命を落とす雁になぞらえ、切ないクライマックスを迎えるヒロインの運命が描かれている。

また作中には上野、湯島天神、赤門と東京の各所が登場し、臨場感を持って描かれている。

高利貸し末造の妾である「お玉」は、医学生の「岡田」を好きになる。

大抵一人で散歩に出ていた岡田であったが、夕飯の献立がサバの味噌煮であることを知って、語り手の「僕」をつれて散歩に出ることになる。

散歩途中の不忍池で岡田が何気に投げた石が雁に当たってしまい、雁は死ぬ。

雁を持って家路につく二人が、途中お玉の家のまえを通るが、お玉は岡田に思いを伝えられないまま、岡田は洋行(外国に行って)してしまう。

森鴎外『即興詩人』

原作はデンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの長編小説で、森鴎外は今作品を10年の歳月をかけて翻訳している。

厳密に言うと森鴎外の作品ではないが、今日も『人魚姫』や『みにくいアヒルの子』、『マッチ売りの少女』でも知られている世界的童話作家のアンデルセンの出世作を翻訳した作品であり、翻訳家としての森鴎外を見ることができる作品であるので挙げさせていただいた。

元になっている『Improvisatoren(即興詩人)』の内容は、ローマ生まれのアントニオの半生を綴ったアンデルセンの自伝的小説であるが、青春・冒険・怪奇小説の趣も感じられる作品である。

ちなみにアンデルセンはイタリア旅行の体験を元に今作品を書き上げているが、アンデルセン自身は全くイタリア語が話せなかったので、作中のイタリア人の心象描写や、感情はアンデルセンの想像力を駆使して書かれている。

また鷗外訳の今作品は鷗外の優雅な文語体で翻訳されており、これは原文のエッセンスをそのまま伝えると言うよりはむしろ、日本人に理解しやすいように編集されており、もはや原作とは別物と言える。

想像によって書かれた作品をさらに独自の想像で翻訳して作品にしていると言う珍しい経緯を持っており、「翻訳とは?」と考えさせられる作品でもある。

森鴎外『渋江抽斎』

1916年の東京日日新聞および、大阪毎日新聞に連載された森鴎外の長編歴史小説。

主人公の渋江抽斎は実在の人物で、江戸時代末期弘前藩の侍医であり、鷗外はその息子の渋江保から情報提供をへて今作を書き上げている。

今作品は鷗外の個人的な趣味嗜好が高じて作品になった物語。

作品を通じて渋江を語る鷗外の高揚感や熱っぽさが感じられる。

また文中には難読漢字や、漢語、外国語のカタカナ表記などが頻出し、辞書なしで読むのは難しいかもしれない。

しかし、読後には大きな山を登りきったと言うような一種の達成感を感じられる作品だ。

骨太の鷗外作品を読みたい、あるいは、じっくり余暇を鷗外の世界に注ぎたいと思われる方にオススメの名作である。

森鴎外『阿部一族』

1913年1月に『中央公論』で発表された森鴎外の短編歴史小説。

近年では制作フジテレビ・松竹、監督深作欣二、出演、山崎努、佐藤浩市・蟹江敬三らでテレビドラマにもされている作品。

物語のあらすじは、肥後藩藩主の細川忠利の病状悪化により、家臣たちは次々と殉死を願い出るが、老中阿部弥一右衛門だけが「生きて新藩主を助けよ」と忠利から遺言を残され殉死を許されない。

忠利の死後、殉死していく旧臣たちの中、言いつけを守る弥一右衛門だったが、命を惜しんでいると誹謗の矢面に立たされることになり、最終的に一族を集めた前で切腹することになる。

しかし、今度は君主の遺命を背いたと言われることになり、阿部家は家格を下げる処罰が与えられ、それを不服とした弥一右衛門の長男は思い切った行動にでるが、緊縛され処罰となる。

度重なる屈辱を藩から受けた阿部家は、次男弥五郎を筆頭に一族をかけた決意へといたる。

また今作は発表前後に起き、その是非が話題になった乃木希典陸軍大将の殉死という事件の影響に受けていることは明らかであり、鷗外は今作と、前作の『興津弥五右衛門の遺書』の中で、乃木の心情を解釈しているともされているので、あわせて読んでみるとよいだろう。

森鴎外『高瀬舟』

1916年『中央公論』に発表された森鴎外の短編小説。

今日の社会問題でもある「安楽死」がテーマになっている作品である。

物語は流刑となった罪人を京都から大阪へ運ぶ高瀬舟上で、護送を任せられた同心・羽田庄兵衛と罪人・喜助の会話が中心となっている。

護送中、珍しく意気揚々としている罪人を不可解に思った庄兵衛は、喜助に心情を問う。

喜助は病に臥せっていた弟を看病していた。

そんな兄を不憫に思った弟がとった行動と、そんな弟を救おうとしてとった自分の行動を打ち明ける。

当時の心情をありありと描写している喜助の独白と、それを聞き、善悪を自分に問い直す庄兵衛の心情が見事に書かれており、倫理観とは?と考えさせられる。

同様のテーマを扱う作品では、横山秀夫原作で映画化された『半落ち』もオススメ。

森鴎外『山椒大夫』

中世の説経節「五説経」のうちの1つ「さんせう大夫」を元に、1915年『中央公論』に発表された森鷗外の小説。

筑紫に向かったのち行方不明となった父を探すべく、一家は母と娘の安寿、その弟であり中心人物である厨子王(のちの正道)と乳母の4人で、旅にでる。

旅の途中、一家は人買いに騙され、姉と弟は丹後へ。

母と乳母は佐渡へ引き離されてしまう。

丹後の大金持ちの山椒大夫の元で奴隷同然の扱いを受けて奉公することになった姉弟は、逃亡を画策したとして、額に烙印を押されたり、こき使われるなど苦難を強いられる。

山椒大夫の元で暮らすうちに安寿は様変わりして無口になっていき、厨子王は悲しむ。

ある日、機転のきく姉の手引きで一緒に山へ芝刈りにいく厨子王に姉から思ってもみなかった脱出計画を知らされる・・・

歴史的な言葉遣いや単語が随所に見られるが、フリガナも打たれているので、辞書なしでも読める内容となっている。

その後二人は行方不明の父を見つけることができたのか。

あるいは佐渡へ渡った母の消息は…物語の結末は実際に読んで確かめていただきたい。

森鴎外『寒山拾得』

1916年『新小説』に発表された森鴎外の短編小説。

鷗外晩年の作品である。

今でいう知事の職についている主人公が、ようやく会うことが叶う伝説の聖人・寒山と拾得に大笑いされてしまうという結末は、退官前の鷗外の境涯を投影した作品とされている。

また鷗外自身は後著の『寒山拾得縁起』の中で、

「私は丁度其時、何か一つ話を書いて貰ひたいと頼まれてゐたので、子供にした話を、殆其儘書いた。いつもと違て、一冊の參考書をも見ずに書いたのである」

と書いているが、今日の鷗外研究では、元となる書物があるとされている。

また寒山拾得は中国唐代の仙人であり、文学や美術作品の中にも度々登場するモチーフである。

まだ未読であれば、ぜひ寒山拾得の人物像や説話を予備知識として踏まえてから読んでいただくと、より一層楽しめると思う。

森鴎外『カズイスチカ』

1911年に『三田文学』で発表された森鴎外の短編小説。

ちなみにタイトルの「カズイスチカ」はラテン語の”Casuistica”。

直訳すると臨床記録という意味になる。

軍医として働いていた鷗外の、今でいうブログ的な作品。

私目線ではなく、第三者的な目線から書かれているのが鷗外らしい。

おわりに

森鴎外のおすすめ作品10選を紹介した。

恋愛小説から時代小説、翻訳作品と自叙伝的内容な作品から、社会問題へと通じるものまでジャンルを超えて作品を残した森鴎外を改めて見直してみると、やはり一小説家としてだけでは語りつくせない、スーパーマン的印象を思い浮かべてしまう。

また海外文化への造詣も深く、当時としてはアヴァンギャルドな位置付けであったであろうことも知識人としての鷗外がうかがい知れる。

もしまだ鷗外作品を未読ならば、医師、官僚、翻訳家、といった様々な背景を予備知識として踏まえておくと、より一層面白く読めるのではないだろうか。

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