ヤンデレ百合とは、病んでしまうほど彼女にぞっこん依存する関係をさす。
実際そういうジャンルがあるかは知らないが、愛憎極まってストーキングしたり、さらには殺してしまったりと、ヤンデレ百合としか呼びようがない女の子の絆を扱ったフィクションは存在する。
今回は鬱とエロスのフォークロアホラー『バーバ・ヤガー』から、ヤンデレ百合の良さを考察していきたい。
※バーバ・ヤガーとは、スラヴ民話に登場する妖婆のこと
目次
ヤンデレ百合の良さ1:「信じられるのはこの人だけ!」と思い込める切迫感
高校生の犬丸ほのかはいじめられっ子だ。
バーバ・ヤガーを見たと言い張り、ウソツキよばわりされる彼女の味方はただ1人、溝呂木だけ。
犬丸ほのかは小学校時代、子供会のキャンプで大変怖い体験をし、それ以降溝呂木に頼りきっている。
「この人だけは絶対に自分を裏切らない」とメンヘラ一直線に思い込み、単なる友情にとどまらない執着を見せる犬丸の姿は危なっかしいが、溝呂木への信頼の大きさが伝わってきて、なんだか少し羨ましくもなった。
周囲に敵ばかりの状況下で、「この人だけは何が起きても絶対自分の味方でいてくれる」と断言できるのは心強い。
ましてや相手は同い年の女の子。
これが男なら他の女と浮気する可能性がなきにしもあらずだが、なまじ同性として生理を知り抜いてる溝呂木なら、本能的な部分で同一化を果たせるのだ。
並の男より賢く強くタフでサバイバル能力のある友人が近くにいたら、頼ってしまいたくなるのは自然な心理。
その依存が高じてヤンデレ化しても責められまい。
ヤンデレ百合の良さ2:処女喪失の痛みまでも共有できる、強い繋がり
そんな溝呂木も恋に落ち、初体験をする。
さて、犬丸はどうする?キレる?刺す?無理心中か?
答えは「処女喪失の痛みまでも共有し、完全に同一化を図る」だ。
彼女はクローゼットに隠れて溝呂木が抱かれる現場を盗み見、彼女が挿入される瞬間に自らの処女膜を破る。
説明だけでドン引きかもしれないが、これは犬丸の覚悟の強さを示す行動だ。
「私たち、ずっと一緒だよ」「何があっても離れないからね」と口約束だけなら誰でもできる、しかしそれに何の意味があろうか。
溝呂木の幸せを一番に考え、彼女が恋する男に抱かれるのは容認したものの、溝呂木と決定的に違ってしまうのを容認できない犬丸は自分で処女膜を破り、初体験の痛みを共有した。
気持ちいいことを共有するならまだしも、痛いことまで進んで共有できるのがヤンデレ百合の素晴らしさではないか。
これが男なら初体験の痛みだなんだ言われてもピンとこないだろうが、女の場合は処女喪失と表現される事からわかるとおり、「少女の自分との決別」「少女性の喪失」をさす行為でもあるのだ。
それには大変な覚悟が伴うし、だからこそ尊い。
ヤンデレ百合の良さ3:彼女を守る為なら命だって惜しくない、究極の献身
終盤、犬丸は溝呂木を庇って大怪我を負うが、その決断を後悔してはいない。
子供会のキャンプで想像を絶する体験をし、以来ずっとトラウマをひきずっていたものの最大の理解者を得て孤独から救われ、最後には自分が犠牲となって溝呂木を守った犬丸。
究極の献身である。
彼女の命と自分の命を秤にかけ、迷うことなく彼女を選ぶのが、ヤンデレ百合の尊さでなく何なのか。
しかも彼女を庇って死ぬことで自分の存在が永遠になるのだから、ある意味「計画通り」ではないか。
ヤンデレ百合は報われない。
今はよくてもいずれは終わる関係だ。
世間の目は同性愛に冷たい。
いずれ結婚や妊娠、出産で道が分かれるかもしれない。
将来的にわかり合えなくなる位ならいっそ、今ここで劇的に死んで、相手の中で生き続けるのを望む。
救済できなかった罪悪感を播種して相手の記憶に巣食うことで、ヤンデレ百合は完結するのだった。
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