ダメ男ならまだ可愛げがあるがクズ男はいけない、即刻別れろ。
特に女子供を殴る蹴るする外道は最低だ。
なのにどうして一部の女性はクズ男に惹かれてしまうのか。
リアルでクズ男好きなら大惨事だが、フィクション限定のクズ男萌えの心理もまた興味深い。
今回は漫画『pupa』のキャラクター・鬼島四郎から、クズ男萌えの本質を検証していく。
DV上等!でも憎めない
鬼島四郎は本作でとりわけエキセントリックな人物。
ともに暮らしていた頃、妻子に壮絶な暴力を振るっていたせいで、実の息子の現から嫌悪されている。
なのに、何故か憎めない(のは私だけか)。
それは彼がクズなりにブレない信念を持ち、ともすれば妻子を愛している節がうかがえるからだ。
同系統のキャラクターでパッと思い浮かぶのは『呪術廻戦』の伏黒甚爾で、彼にときめいた読者なら割と高確率で鬼島四郎に落ちるはず。
現に四郎は妻の妊娠が判明した時、雑貨屋で麦わら帽子を買い、「妊婦に陽射しは毒だ」とイケメンスマイルを添えて贈っている。
普段の振る舞いがどれだけクズでゲスだろうと、ふとした時に見せる優しさと笑顔に女は弱い。いわゆるギャップ萌えだ。
むしろボロクソ叩かれるほどに贔屓感情が増すので逆効果。
「この人のいい所をわかってあげられるのは私しかいない」と一部の尽くし系依存体質の女性がぞっこんのめりこむ。
不幸な生い立ち!それは間違った愛
鬼島四郎の生い立ちは壮絶だ。
彼は公衆便所に産み捨てられた私生児であり、幼くして鬼才の画家に引き取られるものの、そこで虐待を受ける。
画家は別に憎くて虐待したわけでなく、ミミズ(背中の蚯蚓腫れから当時はそう呼ばれていた)をヌードモデルに絵を描きたかっただけだ。
養父に痛みを与えられ続けた四郎は、それを愛情と錯覚し、同じことを妻子に繰り返す。
DVクズ男に同情すべき点があるなら、彼らの多くが暴力を愛情表現と誤認しているところだ。
彼らとて最初からクズだったのではない。
大人の悪意や暴力に歪められた結果、拳で愛を語るようになってしまったのだ。
運命のイタズラか人生の皮肉か、歪んだ愛情表現しかできずに大人になってしまったクズ男の姿は痛々しく、「この人を受け止められるのは私だけ」とある種の母性本能をくすぐる。
どう見ても不健全で間違った愛情しか与えられてこなかった可哀想な男に、彼らの(母)親に成り代わってハグやキスで心を通わす正しい愛情を教えたがるのもまた、クズ男萌えの真理である。
外道でブレない、不思議な人徳
そんな四郎だが、若い舎弟には慕われている。
しかし外道だ。
どれくらい外道かというと、何かやらかして捕まえた男の顔に直接硫酸をたらすくらいは外道だ。
「悪役に不幸な過去とか可哀想な生い立ちとかいらない、鬼畜の所業を正当化してほしくない」という人がいるが、私の意見は逆。
どんなに不幸な生い立ちだろうと「それがどうした」とふてぶてしく開き直り、「俺が外道なのは誰のせいでもねえよ、自分を貫いた結果だよ」とうそぶくほうがより好感を持てる。
同じクズ男でも、己がクズな理由を親だの世間だのに責任転嫁し、じめじめうじうじ自己憐憫に浸るのはちっぽけでダサい。
外道でも邪道にあらず。
肩で風切りど真ん中を突き進むなら、いかに道を外れていようと彼らにとっては正道。
ブレずに外道を貫くのは正道を歩くのと同じくらい価値があり、凡人にはまねできない快挙。
そう考えれば舎弟の人徳を集めるのもわかる気がする。
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