妖怪もののフィクションは枚挙に暇がない。
毎期大量にリリースされるアニメに必ず複数あることからも、その人気の高さが窺える。
なぜ人はこうも妖怪に惹かれるのだろうか?
今回は『百鬼夜行抄』を参考に掘り下げたい。
人外萌え?異種婚姻譚の魅力
『百鬼夜行抄』は、今市子がネムキで連載している漫画だ。
主人公の律は幼い頃から妖怪や幽霊が見えた。
この能力は祖父から受け継いだものらしい。
本作では蛇女房や狐の嫁入りも扱われる。
うら若い娘が恐ろしい異形に嫁入りする、または人間の男が異類を娶る話は、おとぎ話の定型として古来より認識されている。
この点なぜ女が嫁ぐ側だと醜い妖怪で、男が娶る側だと美しい人外嫁なのが理不尽に感じるが、ここは男のエゴイスティックな願望だの当時の男尊女卑の風習などが下敷きにあるっぽいので今は流す。
突っ込むと色々面倒くさい。
人のかたちして人ならざるものの妖しさに人は惹かれる。
助けた鶴が恩返しに身を削って機を織ってくれたり、天女の水浴びを覗き見した挙句羽衣を隠してまんまと物にしたり、はたまた雪女と床入りして子どもをもうけたりと、昔話の登場人物は持ち前の誠実さや親切心、あるいは悪知恵で人外嫁をゲットしている。
前提として、人外の側から勝手に惚れて嫁いでくることはまずない。
起承転結の「起」の部分において罠にかかったキツネや蛇を救うなり人間の男が何かしら行動を起こし、「承」の局面で恩返しにくる設定が多い。
因果が応報するなら善行だって報われねばならないのだ。
一方で女が嫁ぐ場合は生贄として要求されるパターンが多いのがちょっと解せない。
男は求めるもの、女は求められるものの図式が異類婚姻譚の構成から透けてくる。
獣耳しっぽを生やし、あるいは白い翼を隠し持った化生の嫁が自分にぞっこん惚れこんで尽くしてくれる異類婚姻譚には、男の願望もといロマンが詰まっているのかもしれない。
妖怪とは東洋的概念である
妖怪は日本・中国・韓国・台湾など、東洋に特有の概念だ。
ここに東南アジアの一部を含めてもいいかもしれない。
欧米にも人に害を及ぼし、時に交流する存在がいないではないが、彼らは妖精、またはモンスターと呼ばれる。
妖怪の語感がもたらすイメージとは全く別物だ。
妖怪の発祥は中国の『山海記』と言われている。
現在日本でよく知られている妖怪も、元を正せば中国から伝わってきたものが多い。
なるほど、日本の山野には妖怪が潜んでいてもおかしくないと思わせる深さがある。
中国の峩々と切り立った岩山にも、いかにも仙人や妖怪が棲んでいそうだ。
本作の律もたびたび山奥に迷い込んでは怪異に見舞われている。
妖怪とは東洋の風土が生み出す、可視化された山野の魂なのかもしれない。
……などと柳田國男に思いを馳せてみるのだった。
変わらず存在し続ける妖怪に癒しを求める現代人
『百鬼夜行抄』には、家や村の守り神の信仰がすたれ、祟りや災いを成すエピソードが多い。
「あの頃はよかったなあ、それに比べて今は……」と、人の心と世の移り変わりを妖怪たちも嘆いているのだろうか。
妖怪とは古き良き時代の象徴でもある。
私たちはめまぐるしく変化する現代社会のスピードに疲れ、今昔変わらず存在し続ける妖怪に癒しを求めているのかもしれない。
妖怪もののフィクションが人気を集める背景には、昔日への回帰願望が関係しているというのは穿ちすぎだろうか。
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