なぜ人は歌に惹かれるのか。
ロック、ジャズ、ゴスペル、クラシック、ヘヴィメタル……。
好みはさまざまだが、生まれてこのかた一度も音楽を聞いたことがない人はきっといないはず。
私たちの生活は音楽と切り離せないのだ。
今回は漫画『不思議な少年』から、人の心を動かす音楽の素晴らしさを考察していきたい。
心のままに唄おう。どこまでも自由に飛ぶために
広島で被爆した鉄雄。
不細工で愚鈍な彼はやがて北海道に流れ着き、そこで一人の女性に恋するものの、彼女は自分と釣り合いのとれた美男の恋人を作って鉄雄から離れていく。
ここだけ抜き出しても割と悲劇だが、もっと哀しいのは鉄雄が素晴らしい歌唱力を備えていたことだ。
圧倒的な才能に比して多くを望まない無欲さにじれた少年は、鉄雄をオペラ座のステージに飛ばし、「君さえその気ならこの全てが手に入る」と諭す。
しかし鉄雄は首を縦に振らず、現実の自分の足元でただ一匹、歌を聞いてくれた犬を慈しむのだ。
彼にとって大事なのはどれだけ多くの人に聞いてもらうかではない。
誰の為に、どうして唄うか。それだけだ。
鉄雄が唄う理由はただ歌が好きだから、唄っている最中は他の誰より幸せでいられるからに尽きる。
彼にとっては何千何万の聴衆の拍手喝采より、自分の歌で安らいでくれる犬の存在の方が大きかったのだ。
歌の素晴らしさは歌い手の気持ちよさと結び付く。
聴衆の多寡や有無など関係ない、たとえ一人も聞いてくれる人がいなくたって自分の心を唄えばいい。
歌とは現実から解き放たれ、どこまでも自由に飛ぶ為の手段なのだ。
叫びすら音楽にしよう。私たち自身が人生を奏でる楽器なのだから
ザ・ワンは慟哭を音楽にした最初の男である。
原始時代に生きた名もない彼は、妹を失った哀しみに泣き叫び、それが人類史で最初の歌となったのだった。
音楽とは一体何だろう。
伴奏がなければ音楽と言えない?
リズムがなくちゃ歌ではない?
ナンセンスだ。
人がありったけの感情をこめて上げた声はすべて歌だし、大気を介した瞬間にあまねく世界に響く音楽となる。
たとえば赤ん坊の産声、臨終のため息。
映画の山場における絶叫、別れ際の慟哭が私たちの心を掴んで離さないように、時として叫びは哀しみや怒り、そして歓びの歌に変換され私たちの鼓膜に焼き付く。
リズムなんて気にするな、演奏なんてなくてもいい、私たち自身が既に人生を奏でる楽器なのだ。
歌い手の人生を聞き手に届けよう
マリー・ロンドンは一世を風靡したミュージカル女優だが老化による美貌と喉の衰えで引退、現在は豪邸の地下室で酒浸りの日々を送っている。
余命いくばくもないマリー・ロンドンのそばに現れた少年は、少女期・全盛期・現在、どの彼女の歌声にも違ったよさがあると過去の幻を見せて言うのだった。
歌は歌い手の人生を表現する。
自己表現の一種であり、それを聞き手に届ける伝達手段なのだ。
私たちは歌に凝縮された歌い手の感情を汲み上げ、その裏に見え隠れする人生にまで共感する。
だからこそ失恋ソングは傷心を癒し、初恋の歌は甘酸っぱい気持ちにさせてくれるのだ。
誰かの人生に共感することで、人は救われる。
歌は歌い手と聞き手を繋ぐコミュニケーションツールであり、既知の感情を増幅し、未知の感情を波及させる音叉としても働くのだった。
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