復讐と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
他人のため?自分のため?動機はそれぞれだ。
その善悪や是非は保留するとして、もしあなたが
「復讐は悪いこと!間違ってる!しちゃいけない!」
と思い込んでいるならチョット待った。
復讐とは元来とてもエンターテイメントな行為なのだ。
今回は渡辺優『ラメルノエリキサ』の主人公の生き様を取り上げて、正しい復讐の仕方を学んでいきたい。
復讐は自分のために行うべし
私は自分が好きだから、大好きな自分のためにいつでもすっきりしていたい。復讐とは誰かのためじゃない。大切な自分のすっきりのためのもの。
これは本作の主人公の女子高生の言葉だ。
彼女は下校中に通り魔に襲撃され入院する。
さて、そのあとどうする?
正体不明の通り魔に怯えて通学路を避ける?逃げ隠れする?
彼女はどれもしない、自力で犯人をとっ捕まえることを選ぶのだ。
通り魔に怯えて逃げることは、自分を襲ったクソ野郎の為に、自由に音楽を聞き道の真ん中を歩くのを我慢することだ。
痴漢やひったくりを恐れて音楽を聴くのを我慢するということは、痴漢やひったくりに音楽を聴く楽しい時間を奪われるということだ。それは痴漢やひったくりに遭わずして痴漢やひったくりに害されているのと同じ事。
主人公はそう主張してやまない。
なぜ被害者が権利を侵害されなければいけないのか?
復讐を行うこととは、即ち本来自分が持っていた権利を回復する行為ではないか?
だったら遠慮する必要はない。
おもいきりやればよろしい。
私たちはもっと復讐に大胆になるべきだ。
愛するもののためにも復讐せよ
主人公は子供の頃、ペットのネコの足を折ったピアノ教室の生徒にきっちり復讐をはたしている。
自分の愛するもの、大事なものが傷付けられたらきちんと仕返しをする。
これもまたポイントだ。
何故なら愛するものの心身が傷付けられるのは、自分の尊厳が傷付けられるのと同じだからだ。
物を言えず、自分で痛みを訴えられないペットの場合、なおさら飼い主が怒らなければいけない。
哀しいかな、動物は泣き寝入りするしかないのだ。
復讐はエンターテイメントと心得るべし
総括すると復讐は自分のスッキリのために自分の手を汚す、最高にエゴイスティックでエンターテイメントな行為だ。
これがウケないはずがない。
だからこそ復讐ものの漫画やアニメや小説があふれている訳で、物事が複雑になった世の中だからこそ、読者は勧善懲悪の物語でスッキリしたがっているのだ。
そこに小難しい理屈はいらない。
復讐は気持ちいいからする、それでいい。
もしあなたが誰かに酷いことをされて泣き寝入りしたり、仕返しできないモヤモヤを抱えているなら、『ラメルノエリキサ』の主人公にならってもっと気軽に復讐してみたらどうだろうか。
復讐は最高のエンターテイメント。
きっとカタルシスが味わえるはずだ。
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