いつの時代にも「迷惑な隣人」は一定数いるものだ。
頼みもしないのにやたらとお節介を焼いてくるやつ。
ことあるごとに自分語りを展開しては悦にひたるやつ。
それほど親しかったわけでもないのに、「友達だろ?」を免罪符にして図々しい頼み事を持ち込んでくるやつ……。
付き合ったところで益はなく、ただただ疲労感だけが残される「迷惑な隣人」。
今回は、そんな「迷惑な隣人」のスマートなあしらい方を、太宰治著『親友交歓』の登場人物から学んでいこう。
目次
太宰治『親友交歓』とは?迷惑な隣人こと平田
東京で罹災し、妻子とともに故郷の津軽に避難している「私」。
そんな「私」がぼんやり煙草を嗜んでいると、不意に野良着姿の男が「やあ」と親しげに訪ねてきた。
平田と名乗るその男は、たしかに小学校時代の同級生ではあったが、彼にまつわる「私」の記憶はかすかなもので、平田自身が言うような「しょっちゅう喧嘩をした仲の親友」では決してない。
それでも、軽薄な社交家である「私」は快く平田を家にあげ、彼が言うままに秘蔵の酒でもてなしてやることにしたのだが……。
教養があれば「迷惑な隣人」の横暴ぶりにも動じることはない
突如として「私」の前に現れた「迷惑な隣人」こと平田。
遠慮のかけらもなく家に上がりこんだ平田は、大切なウイスキーをガブガブと飲み、「たいして(アルコール度数が)強くない」などと文句を吐き、一切なんの笑いも共感もない談話を連ねていたかと思えば突然政治批判を始めたり、一族の自慢話を始めたりする。
合間合間に「私」の弱いところをネチネチと突いてきたり、恩着せがましい物言いをしてくるのだから一層たちが悪い。
その間にもウイスキーはみるみる消えていき、さすがの「私」も平田をいまいましく感じ始める。
しかし、「私」は決して平田を諌めたりしないし、反論もしない。
ただ静かに、過去の偉人に思いを馳せるのみだ。
「私」が思い出していたのは、木村重成、神崎与五郎、韓信の3人である。
この3人は、いずれも何者かから理不尽で横暴な要求を突きつけられるのだが、目の前の些事より胸に抱く大望を大事に思った彼らは、その理不尽さに怒ることもなく、穏やかに要求を呑んでその場を収めたという逸話を持つ。
彼らに倣い、穏便にこの場をやり過ごそうとする「私」。
騒ぎ立てるしか能がない無学な平田と「私」との教養の差が、この対応からも見て取れるというものだ。
せめて「迷惑な隣人」の良い一面を探す努力をせよ
やがて、大いに酔いが回ったらしい平田は「ひとつ歌でもやらかそうか」と言い始める。
普通、一切好感も持てない横暴な人物の歌など、たとえ彼がどれほど美声の持ち主であったとしても歓迎したくはないものだ。
しかし「私」は、いっそ懇願するような気持ちで「ぜひ一つ」と平田に頼む。
平田の来訪から五、六時間が経過していたが、一瞬たりとも平田を偉いと思わず、愛することもできずにいた「私」。
このまま別れたならば、きっと、平田に対して恐怖と憎悪の念だけを残すことになってしまう。それはいけない。
せめて故郷の歌でも聞かせてもらって、涙ぐませてもらえれば……。
この「私」の思いに――どれほど嫌味な相手であっても、なんとかして愛してみよう、良い一面を探してみようという切なる願いの現れに――、筆者は強く胸を打たれた。
しかしまあ、そんな「私」の思いはあっさりと裏切られてしまうのだが、それはそれとして。
「迷惑な隣人」の正体は卑しいコンプレックスの塊かもしれない
振る舞いは粗野で傍若無人。
話は嘘っぽい自慢話ばかりでつまらなく、歌をやらせてもろくに覚えてすらいない。
ようやく帰る段階になっても土産にと酒をねだり(しかも、飲みかけではなく新しいものを寄越せとの注文つき)、煙草も強奪していくなど、実にやりたい放題の平田。
極めつけは去り際の一言だ。
平田は、「私」の耳元に口を寄せると、激しくこう囁いたのだ。
「威張るな!」
この一言で、筆者は平田の抱えた卑しいコンプレックスに気付かされた。
津軽の田舎でくすぶっている自分と、華々しい東京で暮らすアイツ。
無学でさしたる教養もない自分と、学が深く、知識人としても成功しているアイツ。
散々理不尽な振る舞いをしたにも関わらず、怒りもせず、終始穏やかに対応してみせたアイツ。
きっと平田は、暴れれば暴れるほど「私」に見下されていることを感じ、やるせない思いを募らせていたのだろう。
アイツが怒らないのは同じ土俵に立っていないからだ、高いところから俺を見下していやがるからだと、とっくに気付いていたのだろう。
それが最後の「威張るな!」につながるわけだ。
もしかすると、平田のように、やたらと横暴に振る舞ってみせる「迷惑な隣人」は、実は卑しいコンプレックスの塊なのかもしれない。
しつこくネチネチとあなたに絡むのは、あなたのことが羨ましくて仕方がないからかもしれない。
そういう相手に対しては、激情で立ち向かったり諭したりしても意味がない。
相手はあなたを妬み、やっかみ、困らせたいと思っているだけなのだから。
あなたはただ、暴風にも動じない巨木のように、じっと我慢なさっていればよろしい。
そうすれば「迷惑な隣人」はあなたの大きさを知り、自分の小ささを知って、恥じるように逃げ帰っていくに違いない。
※『30代作家が選ぶ太宰治』に収録。
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