人間は誰しも匂いを持って生まれる。
美女が極上の芳香を、毒婦が魔性の匂いを纏うように、体臭と人間は切っても切り離せない。
仮に嗅覚を失ったら、この世界はひどく味気ないものになるのではないか?
香水の発祥は古代まで遡り、私たちは人類史においてありとあらゆる種類の匂いを探求してきたともいえる。
今回は小説『ある人殺しの物語 香水』から、人を狂わせる香水の魅力を考察したい。
魅力その1:匂いは人の本質に繋がる
本作の主人公はジャン・バチスト・グルヌイユ。
体臭を持たないグルヌイユは異端だ。故に人々は彼を忌避する。
されどグルヌイユ自身は一度匂いを嗅げば、その人物の本性を見抜けるだけでなく、相手の体臭そっくりの香水を身に纏い、成り代わることすら可能だった。
香水とは七変化の小道具だ。
視覚が意味を成さない暗闇では、なおさら香りが重視される。
世界中の調香師が新たなる素晴らしい香水の開発に血道を上げてきたのは、夜の闇に花開く香りが、いかに人間の官能に訴えかけるか知っていたからではないか。
言葉は無粋、接触は野暮。
ならば意味深な香りを大気に漂わせて誘惑する、それも繁殖方法の一環。
発情期に突入した動物がフェロモンを垂れ流し、あるいは蛾が絢爛な鱗粉を撒いて求愛行動をするように、汗と混ざり合って蒸発した香水は芳しく匂い立ち、人々を虜にしてきた。
蜘蛛は巣を編み上げて獲物を搦めとるが、人間は不可視不可触の匂いで獲物を捕らえる。
どれを選び、どこに付けるかに嗜好や性格がでるように、香水は人間の本質と分かち難く結び付いているのだ。
魅力その2:芳しい香りは魅力を何十倍に
グルヌイユはパリの有名調香師のもとで学び、発注者の希望通りの香水や、その人物の魅力を何十倍にもして引きだす香水を制作してきた。
芳しい香りは美人をさらに美しく輝かせる。
たとえ容貌が月並みでも、官能的な香りを従えた人間が艶めかしく感じられるのはよくあること。
寝る時に纏うものを尋ねられて「シャネルの5番」と答えたアメリカのセックスシンボル、マリリン・モンローのように、香水とは素肌に塗す媚態であり、私たちの想像力や好奇心をかきたててやまない罪作りな存在なのだ。
魅力その3:錬金術的な調合の過程に魅せられる
作中においてグルヌイユは工房にこもり、新作の開発に明け暮れるが、その調合過程は錬金術の実験と似通っている。
実際、大量のフラスコや試験管、蒸留装置が犇めく工房は小宇宙さながらの様相を呈し、香水を作り上げる手順は複雑怪奇。
持ち込まれる原料は植物・鉱物・動物の分泌物と多岐に渡り、これらを秤にかけ、正確無比に混ぜ合わせる事で化学反応が起き、遂に香水が誕生する。
錬金術は卑金属から黄金を生み出す試みが発端の学問だが、全く別個の物質を掛け合わせ、香水として生まれ変わらせる調香師もまた、錬金術師と似ていないだろうか。
錬金術を魔法と見なす中世の人々には、調香師の手際も神秘として映ったに違いない。
寸分の狂いなく霊妙な工程が生み出す香水とは、神がもたらす奇跡のひとしずくなのだ。
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