ゲイの悩みは尽きない。
LGBTに配慮したポリコレ強化など寛容になったように見える世界だが、その実性的マイノリティを取り巻く逆境はさほど変わっておらず、家族の理解さえ得られにくいのが現状だ。
特に強権的な父親とそれに反発するゲイの息子の相性は最悪。
今回はイギリスのノンフィクション『ジプシーと呼ばれた少年』から、父親に虐げられるゲイの苦悩を覗いていきたい。
まるで呪いのよう。「男らしくあれ」と唱え続ける父親の存在
本作の主人公マイキーはジプシーの一族に生まれた少年。
彼の不幸のはじまりは、一族の男たちが一様に強さを絶対視していた事だ。
弱虫は男じゃない、泣き虫は男のクズ、そんな暴言を毎日のように吐かれる状況で育ったマイキー。
父は息子を鍛え上げる建前で凄まじい虐待を加える。
その惨さときたら目を覆わんばかり。
年の近い姉と殴り合いを強制するだけでは飽き足らず、少しでも女々しい所を見せようものなら罰として高圧水流を放射し吐くまで痛め付け、女物のパンティーを穿かせて学校に送り出す。
ここまで極端でなくても、「男らしくあれ」と呪いのように唱え続ける父親のもとで、ゲイの息子が健やかに育てるはずがない。
息子が「女々しいから」「泣き虫だから」と言って折檻したところで、彼らが男らしくなるかというとそんなことはない。
父親のようなマチズモになれないゲイの息子たちは、期待にこたえられず理想に添えない自分を蔑み、呪い、恥じ、「こんな家に生まれたくなかった」とどんどんコンプレックスを肥大化させていく。
二重に生き地獄?家族や周囲が望む理想との乖離
マイキーの悩みは父親だけではない。
ジプシーの社会全体が同性愛に非寛容なのだ。
ゲイだとバレれたら最後容赦ない差別と偏見が待っており、彼は自分の性癖を必死で隠し通そうとする。
実の父親に「男は女を好きになるのが当たり前だ」と言われるだけでも辛いのに、さらにその背後、自分が属するもっと大きな枠組みにまでアイデンティティを否定されては二重に生き地獄。
ゲイの息子たちは家族や社会の期待にこたえられない自分を責めて恥じるが、それは彼らのせいではない。
今の世界はLGBTに優しくなったと言われているが、本当にそうだろうか?
私たちがLGBTの人々に仮初の理解や同情を示せるのは、心のどこかで他人事だと構えているから。
実際自分の子どもや身内にカミングアウトされた時に応援できるかは別問題だ。
もちろん心の底から肯定し、応援できる素晴らしい人々もいるのだろう。
しかし、そのコミュニティにおける「普通の人々」の大半は、LGBTの家族を愛していても地域の白い目や差別にまで耐え抜けまい。
保身から、愛情から。
息子が性的マイノリティである事実を認めず「うちではこれが普通だから」と押し付けてくる家は息苦しいし、万一飛び出したところで「ここではこれが普通だから」とダメだしされては絶望するよりほかない。
恋人を選んでも……偏見と迫害の日々
そんなマイキーだが、遂に運命の人と駆け落ちする。
父親は当然怒り狂い、彼らに追っ手を差し向けた。
一族総出で追い詰め、捕獲時の生死すら問わないというのだから過激である。
ゲイを絶対認めないコミュニティにおいてカミングアウトし、同性の恋人と手を取り合って逃げ出すのは、事実上の絶縁宣言と同じだ。
マイキーはこのあと紆余曲折あり父親を除く家族と和解に至るが、それにも十年以上の歳月がかかっている。
恋人をとるか家族をとるか。
究極の二択を突き付けられた時、あなたならどちらを選ぶだろうか。
苦渋の決断で恋人を選び家族を捨てても、彼らにはまだまだ多くの困難が待ち受けている。
同性婚のハードルは高い。職業選択の幅も狭まる。
養子が欲しくても審査に通るのは大変だ。
一部は異性婚の夫婦にも通じる悩みだが、同性婚のゲイカップルに注がれる世間の目はより厳しく苛烈だ。
悪しき父性のプレッシャーをはねのけて、彼らがのびのび生きられる世の中になるのを願ってやまない。
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