MOE絵本屋さん大賞で第2位に輝いたヨシタケシンスケの『このあと どうしちゃおう』は、気軽に死と向き合える絵本だ。
死とは生きてるかぎり、どうしても避けられない現象であり、子どもが理解するのは一際難しいものでもある。
今回は本作を例にとり、死と子どもの付き合い方を学んでいきたい。
「一緒に考えよっか」とフラットに誘ってみよう
「死んだらどうなるの?」と子どもに聞かれて言葉に詰まった経験はないだろうか。ないなら幸いだ。
しかし、もしあなたが親なら、いずれ質問される時が来るかもしれない。
子どもの頃のことを思い出してほしい。
自分が死んだらどうなるのか考え始めて怖くて眠れなくなったり、親が死ぬことを考えているうちに泣いてしまった記憶はないか。
子どもにとって「死」とはなにかよくわからないもの、わからないから怖いものの代名詞。
単純な話で、なら怖くなくしてしまえばいい。
子どもが怖がるから、まだ早いからといたずらに遠ざけるのはナンセンス。
「そうだね、一緒に考えよっか」とフラットに誘ってみたら、案外のってくれるのでは?
親が怖がるから子どもが怯える。
親が楽しそうにしていれば子どもも喜ぶ。
意外と楽しい?死後の世界を空想しよう
男の子が開いたおじいちゃんの手帳には、死後の世界に関する空想がしたためられていた。
天国とはどんな場所か(「おばあちゃんがいる」には泣いた)。
対して地獄はどんな場所か(「トイレがいっこしかない」は悲劇)。
フリーダムな想像力を発揮して徹底的に設定を作り込むおじいちゃん。
死んで何もなくなるんじゃつまらない。
死後の世界があるかどうかは別として、あってもいいじゃない、あったらいいじゃないと気楽に構えれば、多少なりとも死への恐怖は薄れるのではないか。
おじいちゃんが想像したような、アトラクションと合体した遊園地なら子どもはきっと大喜びだ。
死ぬことは可能性を狭めることにあらず!生まれ変わったら何にでもなれる
天国に飽きたらぼちぼち生まれ変わる頃合いだ。
しかし生まれ変わる対象が生き物とは限らない。
来世では何にでもなれるし何になったっていいのだ。
なんとおじいちゃんは、なりたいもの候補にスーパーのビニール袋まで挙げている。
なんでそんな物に?と突っ込んではいけない。
子どもが大きくなったらなりたいものを聞かれ、「怪獣!」と答えるのと一緒だ。
私たちは大人になり、自分もまた親となり、どうがんばっても怪獣になれない現実を知ってしまった。
死ぬことは可能性を狭めることにあらず、広げることだ。
風を孕んだビニール袋がまるまる膨らんで空を飛ぶように、その未来は無限に広がっている。
故人をリスペクトするなら、彼らがなりたいものに無事生まれ変われていますようにと祈りたい。
もし時間があるなら、「死んだらどうしちゃおっか?」と子どもと喋りながらノートに書きだしてみるのもおすすめだ。
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